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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

恣意的アニメ概論 前夜

アニメ(anime) 雑記(Essay) 感想・考察(レビュー)

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昨年度に仕事で行った講義でアニメについてとりあげる機会があり、いくつかの窓を用意するような形で、連関しないトピックを並べて話をした。日本の文化的特徴を映したポストモダン的主題、として以下の話を総括することもできるが、私が恣意的に気になる話題を選んだだけにすぎないため、いつもの座興と思って興味のあるところだけ読んでくださればよい。こうして文字に起こしてみると、改めて、自分の気になっていたところがより鮮明になってくるのが面白い。やや長いので前夜と後夜の二本立てでお送りします。

 

●物語とグラフィック

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アニメーションは絵(drawing)だけが取り柄ではない。ノルシュテインの作品を観ればわかるように、あるいはクレイアニメーションなどでもおなじみのように、アニメーションは現物を使った表現も大いに用いられる分野であり、CGで表現の幅が広がった現在のアニメーションにおいて、以前の古典的な手法とCGを組みあわせた作品もゼロ年代以降はかなり多くなったと言えよう。“手法”そのものが物語全体に影響を与える作品として、私が気づいたもののなかでは、シャフトの『まどか☆マギカ』に面白い試みがあった。

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上のキャプ画は一話で鹿目まどかがはじめて異界に足を踏みいれる場面である。この場面の面白いところは、物語内の異界を表現するために、私たちの現実の素材をコラージュした背景を用いた点である。実写ではない絵やCGを用いることで物語内の現実を表現するのがアニメーション制作である。それはすなわち、翻って作中人物たちの立場に立つならば、彼女たちにとっては私たちの現実こそがフィクション、非現実であるということになる。本作では、劇中にて私たちの現実が異化され、まったく別の角度から照射されているのである。これはとてもシャフトらしい試みであった。

 

●キャラクター中心主義

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海外でも日本のサブカルチャーにおけるキャラクター中心主義(character centrism)は盛んに議論されており、おおかた国内と同じような内容が散見される。いろいろと読むなかで興味を惹かれたのは、森見登美彦の原作を映像化した『四畳半神話大系』についての以下の着眼である。

[Works like Tatami Galaxy] push the graphic limits and challenge the character-centrism of the anime media mix. (Marc Steinberg. Anime's Media Mix Franchising Toys and Characters in Japan. “Character, World, Consumption”)

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『四畳半』の肝要は、毎話同じ人物が出てくるにもかかわらず、一話ずつ展開と結末が異なっているという点である。ノベルゲームと同じように、ひとりの人物の物語が複数用意されており、どれが真実の物語なのかを決定することができない。いわば作品内で二次創作を一次創作的に行っており――しかもその元となるたったひとつの物語が本作には存在しない――これがメディア・ミックス展開を逆手にとった物語であるのは疑う余地がない。消費者や製作者が行う二次創作物の展開は、あくまで商品経済、商業構造の話であり、本来は物語そのものとはまったく関係がない。しかしそういった流通経済の構造を物語内にひき入れ、作品構造としてしまった『四畳半神話大系』は、他作品とは一線を画する奇妙なメタ構造をもつ物語となったのである。

キャラクターの属性(attribute)だけを保持した二次創作はポストモダンの文化を如実に象徴するものであるが、それを逆手にとった作品が量産される現状が、ポスト・ポストモダン(post-post modern)という言葉が出てきた背景にはある。しかもそれすらもポストモダン的であると言えるのであり、文化批評の興味深いゆき詰まりをここに感じる。

 

●前夜の付記

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あくまで個人的な所感だが、『まどマギ』も『四畳半神話大系』もそこまで面白くなかったので、内容にはあまり立ち入っていない。しかしながら、作品としての完成度はどちらも高く、様々な問題提起をしてくれる作品であるのは間違いない。

ここ数年は作品がとみに類型化してきた事情もあり、私自身、徐々にアニメを追わなくなってきたきらいがある。今年リアルタイムで観たアニメ作品は片手で数えられるほど。ものぐさにならず、良作をとりこぼさないよう眼を光らせておきたいものだが、果たしてできるかどうか・・・・・・と案じている今日この頃。

ちなみに後夜では、日常系とアニメ批評の話題を検討するつもりです。