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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

吉本ばなな「夜と夜の旅人」

文学(Literature)-吉本ばなな 文学(Literature) 文学(Literature)-日本文学


吉本ばななのエッセイ『パイナツプリン』を読むまで、私はバナナの花というものを見たことがなかった。彼女は言う。


「それは、そこにあるでっかい花瓶に、なんとダイナミックに一輪ざしであった。・・・・・・あんなに大きく変なものがこの世にあるなんてそれだけで嬉しい。葉も、太いくきもかっこいい。」


この実に大ざっぱな描写から、私たちが頭の中で想像/創造できるへんなもの、それこそが吉本ばななという「生きもの」である。彼女の文章は、よく言えばダイナミック、悪く言えば大雑把だ。生活の中で皆が等しく感じる「すごい」や「つらい」をそのまま「現実はすごい。」、「気が狂いそうだった。腐りそうだった。」と表現する。回りくどい表現やレトリックは一切ない。すごいものはすごいのだ、と書いてひとを感動させることのできるばななこそすごいと私は思うのだが。

彼女がすごいと感じるものは、たいてい誰が見てもすごいと思うものばかりだ。吉本ばななが多くの読者の共感を得た理由はそこにあるし、ありふれた、簡潔な言葉が時に深く心に響くことを、彼女は驚きと歓びをもって私たちに思いださせてくれる。誰にでもわかる言葉で私たちの毎日を語り直す彼女の文学に触れていると、階下で眠っている犬の頭を撫でに行ったり、給料日に家族にケーキを買って帰りたくなったりする。ばななの創作モチーフはいつも、変わらずに「家族」である。

ばななの著作の中で私が最も数多く読み返す作品は『白河夜船』所収“眠り三部作”のひとつ「夜と夜の旅人」である。しかしこの作品の魅力を語るのはとてもむつかしい、なぜなら―きっと彼女の作品をよく知るひとならわかるであろうが―この短篇を好きだと誰かに話すと、皆一様に困惑した顔をするからである。

この捉えどころのない、それだけによりばなならしいとも言える物語は、夜を中心に動いてゆく。毬絵が夜中に裸足で芝美を訪ねるのも雪の晩だし、深夜に街を徘徊したり、陽を避け薄暗い居間で眠りこむ様子、死んだ恋人と暮らしたアパートの部屋で、暖房もつけずに、一週間下着で眠りつづけたりと・・・・・・夜に結びつくイメージが物語の中で折り重なるようにいくつも展開されている。

松岡正剛は『フラジャイル』の中で、高度の違う地平へ急激にジャンプすることのできる作家は、吉本ばなな大島弓子だけだ、と述べた。現実と非現実が平然と同居した状態を好む、と数々のインタビューでばなな自身も述べているように、彼女はしばしば物語の解決に超能力を使ったり(『白河夜船』)、心のシンクロをさも当たり前のようにもちだしてきたりする(『キッチン』菊池桃子を歌いながら台所の掃除をする場面)。そしてそれは見事に登場人物たちの日常へと溶け込み、我々読者に一抹の違和感も抱かせない。

「夜と夜の旅人」は、それをもっと現実らしくした形で描かれており、より肌になじみやすい作品に仕上がっている。もっとも、この作品は吉本ばなな前期におなじみの“ばなな節”があまり前面に出ていない作品であるため、彼女特有の言語の質感を味わいたい方には『キッチン』や『アムリタ』の方をお勧めしたい。