ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

村上春樹『羊をめぐる冒険』


個人的には「村上春樹」の名前を聞くと、もうお腹いっぱいだ、と応えてしまう。もちろん、それほど何度も、深く読み込んだ作家のひとりであるということだ。英国に住んでいた時も彼を知らないひとは周りにいなかったし、それくらいいろんなひとにいろんなわけのわからないことを言われている作家でもある。

村上が自分の小説についてコメントしているところを見たことのあるひとは、おそらくごく少数なのではないだろうか。なぜなら、基本的に彼は日本語で文学について語ることがほとんどなかったからである。しかし海外のインタビューでは、村上は非常に雄弁である(その事実を逆輸入して村上文学に新たな光を当てたのは、研究者都甲幸治先生の功績である)。しかし日本語へ訳されているものがほとんどないため、ここにその一部を紹介しておこう。


「僕はただ、ハードボイルドな推理小説の構造を求めていたんです。物語構造にとても興味があるんですよ。更に他の作品ではまた別の大衆的な物語構造を使っています―たとえばSFの構造とかですね。ラヴ・ストーリーやロマンスの構造なんかも使っています」
(“It Don’t Mean a Thing, If It Ain’t Got That Swing: an Interview with Haruki Murakami.”より)


羊をめぐる冒険』は推理小説であり、ビルドゥングスロマンでもあり、リアリズム小説、あるいはマジックリアリズムの要素すら混入している。そうした点から、一般にこの小説はポストモダニズム小説の範例としてとりあげられているわけだが、まさにそのせいで、村上の小説をどう読んだらいいのかわからない、という読者も多く出てくる。私もそのひとりであった。よく冗談で「主人公は物事に対し無頓着で、料理ばかり作っている」と言われたりするが、確かに村上の小説は「なぜ?」を大切にしている文学である。彼の小説を読むと我々は「なぜ?」と問いかけずにはいられない。なぜ「誰とでも寝る女の子」の話が出てくるのか。羊のもつ力とはなんなのか。なにが鼠を捕えたのか。などなど、挙げれば挙げるほど村上の物語は複雑さを生み、しまいには思わず本を投げだしたくなってしまうのである。

それでも村上の文学が読者の心を摑むのは、現代の関心に対して村上自身が非常に敏感であるからなのだろう。「キー・ポイントは弱さなんだ」と鼠は言う。自分はその弱さが、実は結構気に入っていて、それを守りたかったのだと。心に響く科白である。村上の文章はなんだか「かっこよく」、それゆえ「村上春樹が好きだなんて今更恥ずかしくて言えない」けれども、なんだかいい。それは村上が的確に時代の求める言葉を捉えていて、それを恥ずかしいまでに素直な言葉で表現しているからなのであろう。