ワザリング・ハイツ -annex-

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シャーロット・ブロンテ『ヴィレット』


昨年春にシャーロットのデビュー作『ジェーン・エア』の映画が公開され(何度目のリメイクだろうか?)、イギリスに住んでいた私は書店に足を運ぶたび、様々な出版社から出た何種類もの『ジェーン・エア』を目にすることができてとても楽しかった思い出がある。この小説は一八四七年に出版され、イギリスヴィクトリア朝(一八三七年〜一九〇一年)文学の傑作として認められている。シャーロットはブロンテ姉妹のうち最も長生きをした上、未完の作品も合わせると全部で五本の小説を残した。完成した小説の中で最後の作品が、ここで紹介する『ヴィレット』である。

この時代の小説にしては珍しく『ヴィレット』はとても現代的な小説である。結末がわからないオープンエンディング、嘘を吐く語り手、反復といった、二〇世紀モダニズム以降に頻出しはじめた技巧に加え、冷徹な自分と狂気に駆られた自分、擬人化した理性との対話といった、精神分析学的アプローチを要する側面も併合した、当時としてはかなり斬新な小説であったことは間違いない。

特に?偶然性?に関しては、シャーロットはちょっとした権威である。『ジェーン・エア』でも見られた偶然の出来事が『ヴィレット』にも同様に見受けられる。『ジェーン・エア』では、ジェーンが放蕩の末に見つけたあたたかで親切な家庭が偶然にも彼女の遠い親戚であったり、愛していたロチェスターの妻が死んだため彼と結婚できるようになったりと、すべての“Providential intention”(神意・摂理)は彼女の幸福のために働いた。

しかしその一方で『ヴィレット』はどうかというと、ルーシー・スノウはまず船が嵐に遭い育ての親を失う(両親はすでに亡くなっている)。彼女はベルギーの田舎町ヴィレットで教職に就くが、そこで幼い頃に身を寄せていたブレトン家の人々と再会する(ふたたび別れることになる)。恋仲となったムッシュ・ポールは、冒頭の反復であるかのように、船の難破に遭う(どうなったのかは語られない)。すべての摂理はルーシーを過酷な運命に追い込むのである。

『ヴィレット』を読むと当然のことながら、弟ブランウェル、妹エミリ、アンと次々に死んでゆく兄妹を看取ったシャーロットの境遇が想起される。彼らの死後、彼女はいったいどんな気持ちでこの物語を書いたのだろうか。『ヴィレット』執筆後にたった一年だけ幸せな結婚生活を送れたことだけが、そんな彼女を想う時の唯一の慰めとなるのだが。