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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

S.T.コウルリッジ「古老の舟乗り」

文学(Literature)-コウルリッジ, S.T 文学(Literature) 文学(Literature)-イギリス文学


コウルリッジという作家を今の本好きたちがどれだけ知っているのか(あるいは読んでいるのか)はわからないけれど、イギリスロマン派を代表する十八世紀から十九世紀にかけて活躍した詩人である。しかし・・・・・・コウルリッジを読むにはかなりの苦労が強いられる。特に精神力が。彼のぶつけてくる現実には毒味というか、凄味があって、それとまともにとり組めばもつれ合うこと請け合いである。コウルリッジといえば「想像力」という概念を“primary imagination”と“secondary imagination”のふたつに分け、特有の理論を展開したBiographia Literariaなどが有名だが、ここではもう少し扱いやすい「古老の舟乗り」という詩について紹介していきたい。

「古老の舟乗り」はいわゆる物語詩と呼ばれるもので、小説と同じような感覚で読み進めていける種類の詩作品である。航海の最中、舟乗りは?吉凶の訪れ?と思しき一羽のアホウドリを、単なる気まぐれから撃ち落とす。それが災いを招く一端となり、死神と「死中の生(“LIFE-IN-DEATH”)」が呪いをかけ、船員は死滅する。ただひとり生き残った舟乗りは、足許に転がる死体と共に海を彷徨う。

この物語は、舟乗りが話を語り伝えながら生きてゆく、という?口承伝統?の詩、つまりは「バラッド」と呼ばれる形式で書かれている。今でこそ広義な意味で使われるバラッドだが、そもそもは口承文学(“Orature”)から発したものであり、バラッドの意義は?物語を語り伝えること?にある。「古老の舟乗り」は、コウルリッジがワーズワースと共に詩を連ね編纂した『リリカル・バラッド』(Lyrical Ballads)に収録された詩であり、この詩集には他にもふたりの書いた詩が収録されているが、いずれも伝統的なバラッドの形式をとったものとなっている。日本で言うところの、国木田独歩の『日本の昔話』のようなものだろうか。

プロットを見て明らかなように、これは教訓を孕んだ寓話の一種で、教訓がなにかを念頭に置いて読めば、ひとつの読書体験としては成功を見ることと思う。そこにたとえば、同じように鳥(カモメ)を撃ち落とす場面から展開するチェーホフの『カモメ』との接点を読み込んだり、テニスンの『イノック・アーデン』との符号を見たりすれば、更に一歩進んだ分析にまで手が届くだろう。喰わず嫌いをせずに読んでみて欲しい一篇である。