ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

アルベール・カミュ『ペスト』


修士一年の時にフランス語の(学部と併合の)授業でカミュの『ペスト』を読み返すことになったのは、個人的にはとても幸運な偶然であったと思う。カミュという作家は確か大学二年くらいの時にかなりぐっと深く入り込んで読んだ作家であったが、こういう作家を読むのにはかなりの体力を要する。実際、ペストは大変だった。もちろんフランス語で部分的に読み直した授業の際にも大変な苦労をした憶えがある。

ペストが蔓延し、街が封鎖され・・・・・・というこの小説が、ナチスのパリ包囲を比喩的に語った状況小説であるというのは頷ける。これはなかなか画期的な試みであるし、もちろんそういう作品は他にも山のようにあるのだけれど、カミュは人間をそっけなく書くようなことはせず、あの『異邦人』でさえ、ムルソーの内面にまで奥深く分け入ってゆく(最後の独白の箇所)。事実、最後までペストと闘いつづけるリウーやタルーといった人物たちは、その背景までが緻密に描写されており、そのような状況下で人間がいかなる行動をとるのか、それは善か悪か、はたまた一般的な道徳律では測ることのできないものなのか、そこのところがひとつの大きな問題点となってくる。なぜならこれは、戦争のような特別な状況下における人間の心理状態を扱った小説だからである。

更に、カミュの唱えた不条理の論理や、カフカのような文学と併せて考えてみるのも面白い。『シーシュポスの神話』の結晶がまさにこの『ペスト』という小説であるが、シーシュポスの不毛な岩運びのように、ペストを人為的な力で根絶やしにすることは不可能であり、闘えば闘うほど、生命を落とす確率が高くなる。しかし地獄のような闘いの日々は、ふと気がつけば、いつの間にやら過ぎ去っている。なにが原因というわけでもない、その断続的な物事の結びつきこそが不条理であるとカミュは示して見せるのである。