ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

三浦しをん『秘密の花園』


舟を編む』が公開され(これはとてもいい映画だった)三浦しをんの名前はまた一段と広く認知されたことだろう。このひとはわりと職業的な作家のようで、実に様々なジャンルを、自分の知っている範囲外のことも取材をして扱うことのできる作家だという印象を受けた。文学的価値については賛否両論ありそうなところだが、この『秘密の花園』に関しては、非常に優れたものを感じる。

穂村弘氏が文庫版のあとがきに書いていたことはこの小説を読むひとつの鍵となろう。「本書の少女たちもまた『飛ぶ』。ビルの屋上から垂直にではなく、日常の中を水平に『飛ぶ』のである。」この感覚が、数十年前から十代の若者の感じてきた憂鬱感を表すものとしては最も適切だと思われる。身体や心を擦り減らすようにして日常を生きなければならない時代にあって、死を強制される恐怖と常に隣合わせだった戦前と比べ、今の若者が温和な日常の中で感じとっている、言い表すのがむつかしい鬱屈感を、理解できない大人も多々いることであろう。


「結局私は、悩んだってしかたのないようなことしか悩む対象がないのだ。悩むことすらむなしいなんて、もしかしたら世界で一番不幸かもしれない。世界で最も役に立たない生き物なのは確かだ。」


これをたとえば、明日を生き延びられるかわからないような国で暮らすひとに聞かせたら、きっと激怒することだろう。私はあるドラマでおばあさんが自殺しようとする若者に言った「自分で死ねるなんて、贅沢だこと。」という言葉をいまだに忘れることができない。文学においてコンテクストは最重要項目のひとつだが、特に感情について考える時、コンテクストは大切な足場となる。たとえば、日本の飲酒は二十歳からだが、カリフォルニアでは二十一歳からである。このおばあさんは、カリフォルニアの倫理的観点から日本の若者を糾弾しているようなものなのだ。おばあさんの言い分が間違っているかどうかは別として、土台が違うのに同じ批判をしようとする、ある種の矛盾がここにあることは指摘しておく必要があるだろう。本書ではこうした両者の軋轢のようなものも、後述の語りのレトリックによって実現されている。

『秘密の花園』は、現代の若者が、あるいは多くのひとが抱えている問題を丁寧に追跡していくような物語であり、三人の主人公それぞれの人物像を相対的な視点から浮き上がらせるために、彼女たちが順番に計三章を語る手法がとられている。そのことにより、思い込みの激しい淑子の性格を他のふたりが他者の視点から分析することができるため、頭でっかちな物語にならず平衡が保たれている。こうした点は、三浦しをんの見事な手腕と言えるところであろう。