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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

アンナ・カヴァン『氷』


アンナ・カヴァンカフカに大きな影響を受けたことは有名だが、彼女の作品がSFというジャンルに分類されていることには驚いた。読んでいた時にはこの小説をまったくそんなふうに見ていなかったし、黙示録的なところだけに着目した結果なのであれば、それは『氷』の半分も形容したことにはならない。もちろん、それだけ複雑なモチーフで構成された小説だということでもある。

男がひとりの少女に執着し、ひたすら彼女を追い回す話である。極地の氷が溶けはじめ世界が氷河期に入りはじめているという事実と、少女の精神的かつ肉体的な虐待(これは実に様々なひと/ものによる)とは、何処か密接な結びつきがある、世界滅亡の鍵が彼女にある、といった内容の話である。結論から言えば、素晴らしい小説であった。ところどころの氷にまつわる描写も光るばかりか、少女や「私」(この小説には名前のある人物はひとりも登場しない)の複合的な人物像がよく描き込まれている。

少女と氷の結びつきが示唆するように、彼女は脆く儚い存在であるが、それはあくまで「私」がイメージする彼女に過ぎない。彼の想像の中で(とまでは断言できないのだが・・・・・・)何度も暴力を受けたり、死んだりする。物語の途中で、彼が精神病者だと指摘される箇所からもわかるように、彼の生きる現実が本当に現実かどうかは実に疑わしい。すべてが彼の幻想だとすれば、少女の像もまた彼によって創りだされたものとなり、ただでさえ不可思議な少女の本当の姿が(そんなものがあればの話だが)更に遠退いてしまうのだ。この物語で少女は「私」を映しだす鏡となるが、それは彼が恣意的に創りだした彼女の映しだす彼自身であり、彼の理想的な姿であるのかもしれない。つまりは、支配力をもった男という姿である。

虐げられている少女を見て性的な魅力を感じとったり、身体中傷めつけられて死んでゆくさまを想像したりと、「私」の少女に対する感情には暴力的な性質が潜んでいる。彼自身、実際に権力をもって少女を?所有している?長官に対し一種異様なほどの敬意を抱く。少女を連れて逃げる道中も、彼は平気でひとを殺す。その一方で少女は、こうした暴力的支配への嗜好を否定するかのように、彼をひたすら拒絶する。権力に押し潰される少女の心の動きに伴い、氷の?侵攻?も加速し、世界は滅亡への道を突き進む。

この小説の主題を?暴力?と捉えると、確かに物語の理解はより深まるように思われる。情報操作、戦争、人間関係、すべてが権力に立脚して展開される。少女がか弱い存在であることも、何処か皮肉めいた感じがする。少女はあまりにも多くのものを表象しており、そのことがまた物語に奥ゆきをもたせているのだが、最後のどんでん返しはまさに、眼に見えない権力支配の恐ろしさを示しているようにも思われる。