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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

小川未明「赤い蝋燭と人魚」

文学(Literature)-小川未明 文学(Literature) 文学(Literature)-日本文学


小川未明と言えば、日本の児童文学にひとつの大きな流れを作りだした賢人であり、戦後には文化功労者にも選出されている。「手袋を買いに」や「ごんぎつね」の新美南吉、「泣いた赤鬼」の浜田廣介など、児童文学と言っていいのかわからない、対象年齢を問わない童話が日本文学には多彩である。「赤い蝋燭と人魚」もその例外ではない。一九二一年に発表されたこの作品も、しんと心に沁み亘る日本文学独特の悲愴感を孕んだ物語となっている。

本作では、金と情の主題よりもむしろ、誰にもやさしい声をかけられることのない少女の淋しさが際立つ。少女がなんのために蝋燭に絵付けをしているのかを誰も問わないばかりか、彼女の澄んだ心が街をいきいきとさせていることにも、誰ひとりとして気づかない。尊さはいつもひとの眼の届かないところに隠れているものだが、少女は自分の綺麗な心を胸に抱いたまま、姿ごと部屋の奥に隠れている。

少女の母親は、もちろん人魚であるが、子供にはせめて明るい場所で生きて欲しいという思いを込めて、少女を人間の世界に託した。しかしよくよく考えてみるとこれは、自分でもどんな場所か本当のところを知らない人間の世界に子供を置き去りにしてしまう、母親の身勝手なふるまいでしかない。少女の孤独は母親が彼女を手放した時から消えることはなかった。たとえ暗い世界であれど、母親と海の中で暮らしていた方が幸せではなかったか。ここにもやはり、少女の語られない淋しさが滲み出ている。

日本の文学はおしなべて淋しい。日本の作家たちはその“淋しさ”をどう扱ってきたか。そこからどのようなものを創りだしてきたか。淋しさはどんなものへ姿を変えるか。それは本作における天災であったり、愛欲であったり、美しさの発端であったりする。文学の生まれるところにはいつも淋しさがあるようだ。