ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

ファン・ウー『二月の花』


“エクソフォニー”という言葉が定着しはじめたのは、母語でない言語を使って作品を書く作家が増えてきているからであろう。国内の政治的背景によって国外逃亡を余儀なくされ、亡命作家として海外で文学活動をする作家も、現在に至ってさえまだ存在するが、自発的に国外へ出て、外国語を創作言語として選択する作家も非常に多い。そのような背景を知る以前に私が手にとったのは、アメリカで活躍する中国人の作家たちの小説であった。イーユン・リーやハ・ジン、『ラスト・コーション』の原作を書いたアイリーン・チャンなど、実際に例を挙げれば切りがない。日本ではあまり例を見ないし、そのような作家の本はあまり一般的に読まれていないのではないだろうか。

ファン・ウーの『二月の花』は中国の大学生活を舞台にした小説で、ミンとヤンの友情関係が一人称の視点で描かれる。ミンは優秀な奨学生であり、内気で世間を知らない(男を知らない)真面目な学生である。彼女がふいなことから奔放な魅力をもつヤンと出逢い、次第に女性として、大人としての魅力を開かせてゆく。話の筋としては平凡だが、卒業して結婚、離婚を経て、ヤンのことをふたたび思いだす時、ミンは自分が友情以上の気持ちで彼女を思慕していたことに思い至る。ルームメイトのイーシューを通じて暗示される同性愛がミンとヤンの同性愛的関係を顕在化しているように感じられなくもないが、彼女が本当にヤンを恋慕しているのかについては、明確に語られることがない。

この小説の面白いところは、そのことが語られないことにより、ヤンが象徴的な意味をもちうるところにある。ミンは刺激的な大学生活を通して多くのことを経験し、精神的に大人へと成長してゆくが、その結果として平凡な人生に落ちつく。彼女は自分がこれまで夫と共に暮らしてこられたことに対して驚きの気持ちさえ感じている。ヤンはミンの中で憧憬のような存在となり、自由や若さ、恋愛や友情、今では無縁となってしまった多くの感情と結びついた存在であり、二度ととり戻すことのできないものである。そしてたとえ今もう一度出逢ったとしても、彼女がまったくあの頃と変わっていないであろうこともわかっている。離婚してふたたびひとり身となったミンは、ヤンに逢うためサンフランシスコに旅立つことを決心するが、それは昔の自分をとり戻そうとする彼女の決意を表していると言えよう。