ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

梶井基次郎「檸檬」


どうしてもこの
“檸檬”が何なのかを考えてしまうわけだが、はて高校の時分にどのように教わっただろうか・・・・・・と思いだそうとして見るが、果たして何も憶えていない。いったい私たちはこんな変なお話を前に何を考えるべきなのだろうか。

「檸檬」を読み返すのは数回目だが、今回は“重さ”という言葉が気に掛かった。檸檬が出てくるのはだいぶページを繰ってからである一方、重さについては序盤から触れられている。それは「えたいの知れない不吉な塊」であり、「借金取の亡霊」であり、「重い本」なのである。そしてある日檸檬に惹かれた「私」は、「つまりはこの重さなんだな」と、その理由を結論づける。「疑いもなくこの重さは総ての善いもの総ての美しいものを重量に換算してきた重さである」と。

彼の言うこの「善いもの」や「美しいもの」とは、貧乏になった今の自分が手に入れることのできないものであるようだ。それは以前の彼が丸善で買っていたような、オーデコロンやしゃれた切子細工、琥珀色や翡翠色の香水壜。こうした品物を見ると、素晴らしい鉛筆を一本買うような贅沢などして悦に浸っていた過去の自分を思いだしてしまうため、現在の彼は丸善を嫌って遠ざかる。これもまた“重さ”であろう。

そんな彼が、善いものや美しいものは、お金がなくても手に入れることができるのだと、檸檬を手にして痛感するのである。その檸檬を携え、彼はふたたび丸善に足を踏み入れる。そしてまたあの嫌悪感、即ち“重さ”が彼を襲うが、それを檸檬が解決してくれる。


「見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘型の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかかっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。」