ワザリング・ハイツ -annex-

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ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 『若きウェルテルの悩み』


二十五歳のゲーテが書いた十八世紀ロマン派文学の最高傑作である。ゲーテはこの作品を深く愛していたようで、概して世の中に広く受け容れられたことを誇りに思っていたのだという。多くの人々がウェルテルに心酔し、ロッテが文学における理想の女性像となったのと同様に、ウェルテルはロマン派的文学青年というひとつのステレオタイプとなる人物像―驚くべきことにこれは今もなお残っているわけだが―となった。本作を知らない者でさえ親しみのあるそういった価値観を生んだ作家という点でも、ゲーテの功績は非常に大きい。

『ウェルテル』で扱われている主題は実に多彩で、ひとつの悲恋物語の中に無限の問題が展開していることがよく分かる。書簡体形式(内的独白)、一人称と三人称、自殺、文明の否定と自然の讃美、階級格差、崇高な女性像、無常の摂理。十九世紀イギリス文学を研究している私にとっても身近な問題が非常に多いばかりか、非常に現代的な問題もここには多く含まれている。ここで少し採りあげてみたいのは「自殺」についてである。

ウェルテルが恋するロッテはすでにアルベルトという素晴らしい男性(とウェルテルは言っている)を伴侶としている。このアルベルトとウェルテルは互いを尊敬し友好関係を築くのだが、最初に口論となるのが自殺についてのやりとりの最中である。


「自殺するなんて、人間がどうしてそれほど馬鹿になれるのか、わけが分らぬ。考えただけでも腹がたつ」
「あなた方のような人たちは」と私(ウェルテル)は叫んだ、「何か事があるとすぐに、それは馬鹿だ、これは悧巧だ、それはいい、これはわるい、といわないと気がすまない。・・・・・・それをいうために、あなた方はその行為にはどんな事情がひそんでいたかを、しらべたことがありますか?」(竹山未知雄訳)


これに対しアルベルトは更に「ある種の行為は、たとえそれがいかなる動機からおこったにしても、つねに罪悪です」、「激烈なる感情の惑乱するところとなった人間は、思考力を喪失したものである。一時的に酩酊ないしは精神異常の状態におちいったとみなされるべきである」と述べる。十九世紀の有名な議論で「狂気」と「道徳的狂気」というものがあり、その点から見るとウェルテルは後者に当たる。即ち、感情的昂りがために狂気と見做されてしまうような性質のことであり、最後まで論理的思考を保っているウェルテルは、すでに十九世紀的な問題を提供する人物像となっている。“想像力による狂気”という主題は、十八世紀においてもうすでに採りあげられていたのである。

キリスト教という点から見ても自殺は罪悪であり、そのようなものをひき起こす想像力も害悪を孕むものとして抑圧の対象となった。自殺や狂気の要因を考える時、それを想像力や遺伝(当時はそう考えられていた)に帰するというのは、いかがなものだろうか。そこには大きなイデオロギーが働いているとしか思えない。それを正面から問い直した小説としても『ウェルテル』は評価されるべきではないだろうか。