ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

シドニー=ガブリエル・コレット『青い麦』


コレットとの出逢いはおよそ十年前にまで溯る。高校三年か大学一年か、それくらいの“大人と子供の中間”くらいの時期に読んだ思い出深い小説がこの『青い麦』である。小説の中で展開される“almost adult, but childish”な遣りとりを読んでいると、やはりこういうことは女の子の方が敏感に感じとるものなのだと分かった。幼なじみのヴァンカとフィルが、互いを異性として意識しはじめるところから物語ははじまる。

ヴァンカがフィルを男として意識しはじめる中で、フィルは年上の女性と関係を持つ(フランス小説のお約束)。そしてそれを悟ったヴァンカがこんなことを言う。


「おお! フィル、わたし相変わらずあんたを愛しているわよ。困ったことには、あのことが何も変えはしないのよ」
彼は心臓が飛びあがって咽喉を突くような気がした、
「ほんと? じゃあ、僕があんなに《女々しかったり》、みっともなかったりしたことは許してくれるんだね?」
彼女はほんの一瞬しか躊躇しなかった、
「そうよ、許すわよ、フィル。でもこれもまた何も変えはしないのよ」
「変えないって、何を?」
「わたしたちをよ、フィル」
堀口大學訳)


幼い頃から共に育ってきた自分たちの関係を進展させるのに、何をしたらいいのかが分からない、ヴァンカの胸中がここに現れる。しかし彼女はすでに、フィルがひと晩で決定的に変わってしまったことに気がついているため、自分たちの関係もまた身体を重ねることでしか進展しえないことを意識している。こういった当意即妙かつ含意のある遣りとりを書くのが、コレットは実に上手い。

そのような変化を、マダム・ダルレーとの密会を通じて、フィルも意識するようになる。フィルの独白にはヴァンカと同様、これまで通りにはいかないのだという、刻々と変化する日常への憂えが込められている。


「ヴァンカと僕という、一人でいるより二倍幸せな二重の人間、フィルとヴァンカという一人の人間が、ここで今年は、これで死のうとしている。これが恐ろしいことでなくて何だろう? 僕にこれを防ぐことはできないだろうか? それなのに僕は手も下さずにぼんやりそれを眺めている。」


当たり前のことを書くのが一番むつかしいことだ。コレットは私たちが感じる当たり前のことをそのまま見事に書いてみせている。こういった本は、私たちが自身のなんでもない日常を顧みるひとつのきっかけを与えてくれるものであると思う。