読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

デニス・ロベール『幸福』

文学(Literature)-ロベール, デニス 文学(Literature) 文学(Literature)-フランス文学


フランスの現代小説で性がどのように扱われうるだろうと考えていた。恋愛と言えばフランスである。サガンも、コレットも、はたまたバタイユも、とても心惹かれる人物を書いたが、しかしもしそうした作中人物たちが傍にいたら不愉快な気持ちになること請け合いである。この小説の男女もまたそうであろう。魅力的だが、ひどく醜く、理に適わない。しかしだからこそ彼らの抱える不安や漠たる思いは率直なものとして心に響く。〝分からない〟という感情がとてもよく分かる。

彼らは自分で、普通とはちがう出逢い方、と言っているが、わりとありがちな不倫小説の馴れあいから物語はじまる。しかし面白いのが、彼らの関係は思わぬ方向へエスカレートしてゆくのである。お互いに平凡な家庭を持つふたりが、性的放蕩にのめり込んでゆく。彼女は、彼自身の歓びのために自分を使って欲しいと望んでいる。それこそが自分の歓びであり、彼のどんな意志にでも従う構えがある。彼が複数の人間を交えた性行為を強要したり、強姦するように彼女を犯したり、打ったりするようになるにつれ、彼女は自分もそういった戯れを強く求めていることを痛感するのである。その反面、はじめこそ強い性的興奮を覚えていた彼だが、次第に歓びを感じられなくなってゆく。

互いに敬意を抱いたり、幸福について思い遣ったりすることを彼女はひどく嫌う。彼がだんだんとそういった話題を持ちだすにつれて、彼女はそれに強く反発し、自分は彼に犯してもらうことだけを望んでいるのだと心に言い聞かせるようになる。「ふたりの経験は私自身のことについて何も教えてはくれなかった」と彼女が述べている通り、自分が本当は彼に何を望んでいるのか、あるいは何を求めて生きているのかが彼女には分からないのである。性的放蕩はその顕れと読める。

・・・・・・とこんなことをつらつらと書いても仕方がないのだが、英訳版の裏表紙にある通り、この物語はかのフランスの名著『O嬢の物語』と響き合うところが確かにある。苦痛が歓びとなり、征服され、隷属させられることで満たされる、あのO嬢の姿は、意思決定と責任を自分ひとりで負うことの不安に揺れる本作の彼女とよく似ている。強い快楽を求めることが、同じだけ強い不安に因るものだと片づけるのは容易だが、それほどまでの不安を感じている人間が、幸福な家庭を持った何不自由なく暮らしている人物だとすれば、確かにこれは眉を顰めてしまう。殺人を犯した犯人の周囲が「彼はとてもやさしい普通のひとで・・・・・・」としばしば口にするのを私たちは知っているが、その〝なぜ〟に深く踏み込んでいるのがこの小説であると言えそうだ。