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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

エリザベス・ボウエン「幻のコー」


イギリス女性作家のこの感じを何と言ったらよいのか・・・・・・とにかく硬い。真面目と言うのなら日本やドイツの方がよっぽどという感じがするけれど、イギリス女性作家の色気のない文体は読んでいてなかなか手強いものである。ノーベル文学賞をとったドリス・レッシングも然ることながら、ボウエンもまた、同じノーベル賞作家のシンボルスカ(ポーランド)や以前紹介した多和田葉子などと比べると、いきいきしているというよりはむしろ〝誠実〟とも言うべき言葉を選ぶ作家たちである。

「幻のコー」は第二次世界大戦中のロンドン大空襲を舞台背景とした短篇である。恋人どうしと思しきアーサーとペピータはある詩に描かれた「コー」という幻の街について話しはじめる。そこは「うち棄てられたように壁が聳え/孤高の月の下にはひっそりと塔が立つ」秘境である。ペピータのコーに関する言及はとても興味深い。


「コーについて考えるのは、私とあなたのことを考えるのと同じよ。」
「あの死んだ街で考えるのか?」
「私たちの街よ―ここで私たちはふたりきりになれる。」


この「ここ(here)」の使い方にはとても違和感がある。コーを指しているのなら「そこ(there)」であろうが、これは当然今の彼らがいるロンドンの状況とコーの状況とを重ね合わせているからこその言い回しなのだろう。この会話がどういう状況でされているかといえば、街中のひとが建物の中へ避難してカーテンをひき、明かりが漏れないよう息を潜めている状況なのだ。彼らはまだ外をうろついており、そろそろ部屋へ戻ろうかという時に突然、ペピータがコーの話を持ちだす。うち棄てられた街とは彼らがいる今のロンドンのことであり、ペピータとアーサーは人気のない街でまさに「ふたりきり」なのである。「爆撃がはじまったからこの先どうなるか分からないと皆が言っている。終わりが来たら、残る街はコーだけになるかもしれないな」と語るアーサーの言葉はそのまま、焼け野原で何もなくなった街、即ちうち棄てられた街コーを浮き上がらせる。

そしてその夜を越えると、彼らは空爆を無事遣り過ごせたことに気がつく。しかし「ロンドンと想像力を支配してきた月の力はもう衰えてしまった。」平穏の訪れはふたりからコーという聖域を奪ってしまう。だからこそ最後に夢の中で、アーサーを伴わずにコーへ向かおうとするペピータの姿が描かれるのである。


※また、この物語には実はもうひとり女性が登場する。この奇妙な三角関係についてまでは書けなかったので、ぜひ一読して考えてみてもらいたい。