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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『半分の月がのぼる空』を読む (感想・レビュー)

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私は不治の病ものに弱いので「くるぞ、くるぞ・・・・・・ほらきたー」みたいな展開できちんと泣ける訓練された読者である。不治の病ものは大きな主題が明確に決まっているので、その単純明快な主題をどれほど奥深いものにできるかは作家の器量にかかっており、二流の筆使いなどはさとい読者にすぐ見抜かれてしまう。それだけが理由ではないが、この主題を書ける作家のことはわりあい信用できると思っている。

それはさておき『半月』である。アニメ版はWOWOWノンスクランブル放送枠で、相変わらず秀逸なアニメを選んで放送していたなあと頭の下がる思いだが、ここでは橋本紡の原作を基に書かせていただく。*

*伊勢の言葉で書きなおした文春文庫版

 

●夏目吾郎の視点

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本作でなにが一番印象に残ったかといえば、やはり夏目吾郎という人物である。夏目だけでなく『半月』には様々な大人の挫折した思いや子供たちへの期待が滲み、それが戎崎裕一と秋庭里香の、はじめから終わりの見えた関係を静かに照らしだしている。裕一と同じ道を通ってきた夏目は、彼に昔の自分を重ねて苛立ち、なにもできなかった当時の自分を反芻する。それから年月を経たのにもかかわらず、今度は妻と同じく心臓を病んだ里香に対して無力であり、医者としてのどうしようもないふがいなさを感じてやまない。

 

透写板にレントゲン写真やエコー映像やらが下がっている。そのすべてが、一枚残すことなく、小夜子の死を予告していた。僕は医者だ。腕はいい。周りはそう思ってるし、僕にも自負がある。それなのに、妻の危機を目前にして、僕はまったくの無力だった。(3巻第4話)

 

2巻では里香と裕一の仲をいたずらに裂こうとする夏目の子供じみた悪巧みが描かれるが、それがどこか物哀しく感じられる理由は、3巻で語られる夏目の過去によって明らかとなる。夏目が裕一に暗に問うているのは、彼女が亡くなったあとに残された長い人生を、彼女と過ごした幸せな時間以上に長く苦しい人生を、選ぶ覚悟がおまえにあるのかというその一点に尽きる。ありえたかもしれない自分の可能性をすべて捨てて彼女との短すぎる幸福な時間を選ぶ。それは誰にも背負うことのできない、自分ひとりで一生背負っていかなくてはならないものなのである。「彼を抱きしめてやりたくなったけど、すべきじゃないとわかっていた。やってはいけないんだ。自分は夏目の人生を背負ってあげることなんてできない。ずっとそばにはいられない。」(3巻第4話)

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やがて夏目は、以前勤めていた病院のある浜松を訪れ、とある老夫婦の許へ裕一を連れてゆく。そのおじさんは病気のため出世もできず早期定年退職をやむなくされた不遇のひとで、いまは奥さんの介護があってやっと暮らしていけるものの、年齢のこともあり、次になにかあってももう手術はできないのだという。夏目は老夫婦に裕一を「例の子」だといって紹介し、世間話をして酒を飲み、相変わらず裕一にくだらない話ばかりする。老夫婦がふたりでバナナを分けあって食べる姿を眺めながら、「いいですね」と裕一が言い、夏目も「いいよな」と返す。そして帰り際におばさんが裕一に言うのだ。「大変なことばかりだけど、精一杯にね。」その瞬間、裕一は夏目が自分をそこに連れてきた本当の理由を理解する。

 

夏目は見せたかったのだ。おじさんを、おばさんを、ふたりの生活を。僕と里香が歩むであろう道を。(4巻第5話)

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自分たちの選ぶ道が決して悲しく苦しい道だけでないことを夏目は裕一に見せてやりたかったのだ。

 

●“語らない”少年から“語る”青年へ

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・・・・・・僕が口にしているのは、どうでもいいことばかりなのかもしれなかった。ただの自己満足みたいなものなのかもしれない。けれど僕が手にしている武器はそれだけだった。たとえ刃こぼれしていようが、折れていようが、僕は僕の武器で戦うしかなかった。(3巻第5話)

 

未熟で経験の浅い人間が社会について語ってはいけない道理はない。しかし世の中はそれを受けつけず、自分で稼いで生活したことのない人間に社会を語る権利はないと、子供の声を撥ねつける。裕一の言葉を読むと、私は早く大人になりたいと思っていた頃の自分を思いだす。子供相手の仕事である立場上、彼らのこうした声を聞くことはやはりあるし、いまこうして大人になってからそういった言葉に耳を傾けると、ときおり不思議な力強さを感じることがある。

 

話しても伝わらないだろう。

僕の言いたいことは言葉と言葉のあいだに埋もれてしまうだろう。

だから僕は話さない。

伝わらないこと、伝えられないこと、そんなものは心に放り込んでおくんだ。(1巻第2話)

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当初は世の不条理のまえで閉口していた裕一は、里香と出逢い、周囲の大人に揉まれるなかで、「運命や未来がおまえの思うとおりにいきそうにないんだったら、それを否定しろ。曲げてみろよ」(3巻4話)という夏目の言葉通り、不条理な現実を否定するために口を開く。

 

彼らは大人で、僕よりも長い時間を生き、僕よりもたくさんの経験を積んでいた。・・・・・・彼らの言葉にあるような重みなんて、だから僕の言葉にはなかった。けれど僕は僕を頼りにするしかなかった。そうさ。人を頼るわけにはいかないのだ。どんなに惨めでも、みっともなくても、自分でやるしかない。・・・・・・逃げるわけにはいかなかった。この怖い現実を、格好悪い世界を、僕は生きていかなければいけないのだ。そうすると決めたのだ。里香のために。だから、僕は今も、喋りつづけている。(3巻第5話)

 

理を以って非に落ちるどころか、理からすでに負けており、そのうえ勝負にも負ける子供が、それでもなにかを伝えようと大人に声をあげるこの場面からは、なにか切実であたたかなものを感じる。大切なものに賭けて負けることの恐ろしさを知っている大人には決してできない果断な試みである。大人が子供に耳を傾けるのはなにも教唆のためだけではない。子供のもつ比類なき無節操な言葉の端々から、眼の前ではじけるようなみずみずしさを感じとり、私たちは負ける勝負に賭けることの意味を問いなおすことができるのではないだろうか。

 

●付記

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夏目五郎のほかにも、裕一の死んだ父親や母親、亜希子さんも、裕一と里香を照らしだす大切な役割を担う。裕一も含めて全体的にみんなクズなのだけれど、いやな感じのしない、気持ちのよいクズであり、本当に人物造形にすぐれた作品だと痛感する。

負ける勝負をしない男が負ける勝負に賭ける物語は、なんだか『ef』の久瀬ルートを想起するものであるが、大人である彼のそういった転換と、子供である『半月』の裕一の勇姿は、比べてみるとまた面白い類似でもある。

⇒『半分の月がのぼる空』を読む(感想・レビュー) 続 - ワザリング・ハイツ -annex-