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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『CROSS†CHANNEL』を読む(感想・レビュー)

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本作については噂や評判がひとり歩きして、本当にそこまでの傑作なのか?と疑いたくなるひとも多数おられることでしょう。名言ラッシュに感銘を受けて名作と言うひともいれば、狂気の現出にゆさぶられたひともいるし、なかでも田中ロミオが仕掛けたシナリオの妙にふりまわされたひとが最も多かったようである。2003年の発売当初から考察と謳った推理ゲームがネット言説としてばらまかれているが、私のいつもの立場通り、つじつま合わせは個人的にあまり興味がないため、ここではある読みを試みた際に問題となる主題だけを相手にしてみたい。

それにしてもロミオのシナリオは相変わらず読ませる。本作は間違いなく私の五本の指に入る傑作だけれど、どこからつつけばいいのか長らくわからなかった作品でもあり、この物語のなにが自分にとって重要だったのかを明確に摑むまでずいぶんと時間がかかってしまった。

思い入れのある作品ですが、あまり長くなりすぎないよう簡潔にいきましょう。

 

●生きるためにゆがむという選択

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この作品には、精神病患者のフェーズをはかるものとして「適応係数」なるものが導入されており、この数値が一定の基準を上回った者の集められた学園に太一たちは通っている。太一によれば、この学園の生徒たちはみな各々を思いやって生活しており、自分たちが異常者であることを自覚しているのだという。数名の学友以外に誰もいなくなった世界で太一は彼らとより深い関わりをもち前向きに生きようと努める。しかし、その太一自身が実は最も重度の患者なのであり、ひとを虐殺してしまうほど豹変する危険を孕んだ人物なのである。

以前『CARNIVAL』の記事でもひいた「このあまりにも公平な現実世界を、少し歪めて欲しい」という『つめたいオゾン』の言葉には、なにもかもが正しすぎる世の中に対しての不信がありありと表れていた。

sengchang.hatenadiary.com

世の中の“公正”とはおおかた多数決であるから、村社会の日本では特に、ひとが集まればそこに様々な常識が生まれ、その基準から外れる人間を排斥するような動きが生まれる。いつの時代もひととちがうということはほとんど悪である。“常識”に当てはまらないものを具えた人間は自分のその性質をいわばゆがみとして認めざるをえなくなってしまう。

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しかし『CROSS†CHANNEL』はやや異なった事情を扱っていて、彼らのゆがみは先天的なものではなく、身を護るために否応なく獲得したゆがみである。社会のなかで生きてゆくため彼らはゆがみを身につけたのであり、皮肉なことに、そのせいでむしろ他者とうまく関係することができなくなってしまった。本作は非現実からの脱出を目的とする慣習的な物語だが、みなから忌避され恐れられる黒須太一と関係しなければそこから脱することができないという、いわば皮肉を逆手にとったつくりとなっており、だからこそ他者との関わりがあらゆるところで前景化する。

美少女ゲームにおいて興味深いのは、常にゆがみが作中人物の本質に根差し、その人間を形作る必要不可欠な特質として描かれることである。そして必ずと言っていいほどそれはヒロインとの関係構築のきっかけとなる。常識的に斥けられる自分の負の部分を受けいれてくれる他者の救いが中心となった、いまや紋切型の物語形式ではあるが、本作の黒須太一は世の中で生きてゆくためにヒロインや友人と向きあうのではなく、むしろ世の中から去るためにーーあるいは彼らを太一のいない元の世界へと送り返すためにーー向きあうという点で、他作品とは大きく異なった特徴をもつ。

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通例の物語では、互いのゆがみを認めあうことで信頼関係を築きあげたのち、それがふたりの生き方を決定づけることになるわけだが、本作はそうはいかない。ひとりひとりと関係(恋愛関係や友情関係)を築きあげて、彼らを元の世界に返してゆき、太一はただひとり誰もいなくなった世界に残ることを選択する。人間と関わりをもたない世界でひとり生きることを選び、そのために他者と関わりをもつという、これは逆説的な試みである。そんな捨て身の関わりを受けてほかのメンバーたちはもう一度社会のなかで生きる力をとり戻してゆく。

この作品はある種の「不治の病もの」として理解することもできるが、いわゆるその後の生き方(というのも妙な形容だが)と、そのための選択に重きが置かれていることを踏まえれば、完全に同じカテゴリーに属するとも言いがたい。あくまでここで描かれているのは「どう最期を生きるのか」ではなく「これから先どう生きるのか」だからである。それはひとりで生きることを選んだ太一にさえ当てはまる。

生きるためにゆがんだのであればそれは肯定されて然るべきだ。本作においては複雑怪奇な物語構造よりもそんな切なる想いのほうが強く印象に残った。

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●付記

大人だけでなく社会と切り離された場所ですべての問題が解決されてしまうところが物哀しい。いわゆる適応係数が正常な人間との関わりは埒外とされており、このあと社会とふたたび関わる群青学園の彼らが、果たして健常者との関係の糸口を摑むことができるのかはわからない。ただ、本作はあくまで疎隔の世界に焦点を当てた物語だから、その点に着目するというのも的外れな話なのだろう。

またループもののお約束として、交わらないはずの並列世界が交わり、時空を超えて想いが渡される展開が本作にも使われている。このあたりのことは一度『CLANNAD』の記事に書いたのでここではくり返さない。

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CROSS†CHANNEL』については、太一をはじめとする登場人物にまったく共感できなかった、という意見も多く見受けられた。共感を求めて物語を読むひとがあまりにも多くて私にしてみればそのほうがむしろ驚きであった。共感できるから興味深いと感じるのではなく、興味深いと感じるからこそ共感するわけで、共感できないから面白くなかった、という稚拙な議論はもううんざり。もはや批判にもなっていない。その一方、評価の高い本作だからこそ、きっとすぐれた見地から徹底的に批判することもできるはずで、そんなレビューがもしあるのなら読んでみたいという気持ちがある。

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