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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『明日の君と逢うために』を読む(感想・レビュー)

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紫作品のうちこれだけはやっとけとおまえらが言うからやってみたよ。OP安定のパープルながら意味不明の裸バーゲンセールで笑った。タイトル画面放置でキャラクターが自己紹介する仕掛けとかすごくいいと思うし、やっているうちにほかの紫作品にも手を出したくなってきた・・・・・・やるなら『秋色恋華』だろうが、まあそれはともかく。「明日の君と逢うために」というタイトルに一番ぴたりと合っていたのは瑠璃子ルートだった気がする。

大きな期待は寄せていなかったが意想外の面白さゆえかなり惹きこまれてしまった。どのルートにも味があってとても満足できる一本だった。

 

●踏みこえた人々

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本作では“踏みこえた人々”が積極的に描かれる。なにを“踏みこえた”かは様々だが、この主題を生涯追いつづけたドストエフスキーにしてみればそれは罪を犯すことであり、あるいはデイヴィッド・リンチにしてみれば『ツイン・ピークス』で描かれた自己分裂の狭間に足を踏みいれることであった。こうした作品では“踏みこえたもの”自体が問題にされており、『罪と罰』では犯罪が、『ツイン・ピークス』では森とその呪術的な力が問題となった。

しかし『明日君』ではその“なにを踏みこえたか”はあまり問題にはならず、あくまでこちら側での生き方に着眼することで、異世界ものの色を出しながらもリアリズムに立脚する。また明日香ルートでは踏みこめてしまったのちの代償が大きな問題となる。『罪と罰』でも描かれたように踏みこえること自体はたやすい。だからこそ、こちらへ戻ってこようというとき、それがどれだけの困難を伴うものであるかにようやく気づくのである。踏みこえた先はなにも神の世界である必要はなく、なにかを踏みこえるという行為の事の大きさを表すものとして、本作では神の世界が物語装置となっているにすぎない。サブカルチャーの世界で最も描かれてきた“踏みこえ”はおそらく、こうした現実から異界への変位と、子供から大人への成長のふたつであろう。本作のように両者は水平に関係する主題として語られることが非常に多い。

 

●記憶と自己同一性

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記憶がなくても同一人物と言えるのか、という問いがおおかたどのルートでもくり返される。瑠璃子と修司が記憶をなくした状態で再会する展開があるし、記憶をなくして向こうへ行くことを否定する小夜のルートがあり、明日香に限っては最初から最後までこの問題がつきまとう。記憶の保持=自己同一性について本作では否定と肯定のどちらの立場も描かれているところが印象的だった。

明日香ルートについては、昔の自分を選ぶかいまの自分を選ぶかの二択しか用意されず、過去と現在の自己の統合は不可能とされてしまう。そして過去よりも未来、つまりは「明日」を選ぶという意味で、最終的に修司と明日香は今現在の明日香を選ぶ。大切にしたいものを探すために踏みこえた子供の明日香と、大切にしたいものがあってこちらに残ることを望んだ現在の明日香との対峙は、ビルドゥングス・ロマンとしての物語に重ねあわされており、子供から大人へ成長することで自分を更新してゆく、新しい自我を形成する比喩として読むこともできた。

本当のことに気づく人間はほとんどいない、というりんの言葉通り、自分にとっての本当とはなにかを決める物語がそれぞれのルートだと言える。このあたりの葛藤は『12の月のイヴ』みずかルートが記憶に新しい。

sengchang.hatenadiary.com

いずれにせよ、どちらの明日香を選んでもよかったのだと思うが、“どうすべきか”ではなく”どうしたいか”という気持ちと正直に向きあった結果が明日香の物語の結末である。”どうしたいか”に重きが置かれるところはやはり私たちのままならない現実をどうにか否定しようという物語のささやかな抵抗が感じられるところであった。

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●物語の読み方

本作において小夜の姉が踏みこえた理由は明かされないままである。それは単に物語の主眼の問題であって、親しいひとの死後にどう生きるかを描く物語と同じように、“踏みこえてしまった”あとに、その当人やまわりの人間がどう生きるかを描いた物語が『明日君』なのだと考えるべきだろう。つまりはこの場合、物語をこう読んでほしい、と作家がある程度舵をとっているものと考えてよい。

これは作家=作品の関係においてしばしば問題になることだが、狭義の私見を述べるならば、そういう作家の意図があってもよいだろうとは思う。「こう書けばよかったのに」と読者がそこに口出しするのは、二次創作的な視点から物語を捉えなおしており、自分を満たす物語へ近づけるため既存の物語をつくりかえるひとつの面白い作業ではあるが、私はあまりそういうことをしたいとは思わない。

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あくまで踏みこえたあとの物語を主軸においているのが本作であり、そのせいでなにかを失ってしまった人々が、明日を生きるためにどんな選択をするのかがその味である。だからこそこうした踏みこえた人々の主題が自己同一性と結びつく点は、なるほどな、と思わせるものがあった。

 

●付記

森で神隠し、と聞いて最初に思い浮かんだのは先に言及した『ツイン・ピークス』のブラックロッジとホワイトロッジである。あの世界も相当恐ろしいものであったし、実際ロッジのなかに入ったクーパーは頭がおかしくなって“こちら側”に戻ってきた。神秘を経験するということは代償を払うことであり、それは少なからず当人の生き方を変えるものでなくてはならないが、しかしそれは子供から大人へ成長する際も同じことである。明日香が身を切るような思いで決断した記憶の切りはなしを私たちは何喰わぬ顔で知らぬうちに実行してしまっているのではないだろうか。

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