ワザリング・ハイツ -annex-

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『CARNIVAL』(小説版)を読む(感想・レビュー)

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まずは作者のあとがきを引用してみたい。小学生の頃に飼育員をしていたという作者が、親鶏の産んだ卵をその眼前で傷つけてみたという話。

 

・・・・・・ニワトリはすごい勢いで、卵を食べはじめたんです。殻をばりばりと砕いて、むさぼってるんですね。赤い血の膜が表面を覆いかけている黄色い液体に嘴を突っ込んで、ときおり頭を上下させ、うなり声を上げ、狂喜しています。あっという間になくなって、ニワトリは卵が浸みた土まで食べてしまいました。その後も、名残惜しそうにずっと白い殻をつついています。僕はその光景にぞっとして、心臓がバクバクしてしまいました。グロテスクで、恐ろしくて、その上変に神聖な気持ちでした。(中略)[『CARNIVAL』は]あの狭い飼育小屋の中みたいな世界だな、と思います。

 

『CARNIVAL』の物語をここまでうまく形容した例をほかに知らないけれど、作者が自分の書いた物語をここまでうまく形容した例もまた見たことがない。

というわけで、衝撃の作者あとがきから。あとがきが一番すごい小説ははじめてである。評判通りというか予想通りというか、続篇である本作も大変面白く読ませていただいた。名作良作の議論はさておき、プレミアがついているのもうなずける、原作に感慨をもったひとなら必ず読むべき一冊だと言える。ただ『CARNIVAL』を知るひとはみな承知の通り、原作も含め、この物語はむしろ人目に触れないほうが健全でよいのかもしれない。私の信頼しているあるサイトにも“『CARNIVAL』を否定できない”というようなことが書かれており、本来であれば眼をそむけたまま見過ごせたはずの自分のある部分と、生涯向きあわなくてはならなくなった、と言及されていたほどである。

前置きはこれくらいにしておこうか。一応断っておくと、本作はS.M.Lから出たノベルゲーム『CARNIVAL』の続篇にあたる小説である。前作についての記事はこちら。

sengchang.hatenadiary.com

ではいきます。今回は論題のとり方がとても難しかった。

 

●“がらくた”のゆくえ

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幸福はがらくたであり、馬が追いかける絶対に届かないにんじんのようなものだと、以前の学は言っていた。逃亡から七年が経ち、ふたたび精神に異常をきたすと、学は理紗との生活がゆき詰まったことを自覚する。人格統合の前に武が言ったように、学はもう武の人格に頼らずひとりきりですべてを背負わなくてはならなくなった。理紗が隣にいても結果的にその重みに耐えることはできなかった。

当時の事件についても、これまでの生活についても、学と理紗が本心を語ることはないまま、この物語は終わりを迎える。語るべきことがない、と言うのが正しいのだろう。前記事でも書いたように、前作の時点で救いがたい彼らのゆく末はもう眼に見えて明らかであったし、それをいたずらに長引かせてでも苦しみながら生きること、それこそが彼らの生きる意味であると切々に語ったあとなのだから、いまさらほかになにも言うことはないであろう。

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しかし、七年という月日が経ったあとで学がたどりついたひとつの答えは、自分の追いかけるものがたとえ“がらくた”に過ぎなくても、なにかを求めて生きなければならないという真実であった。

 

忌まわしい僕の歪んだ想念の皮膜を剥ぎ取った、ありのままの世界は、こんなに静かで美しいものだったのか。ため息が、胸の中にあった何か固くて苦しいものを一瞬で砕いてしまった。

いや、本来そういうものだとは想像していた。生きていることが素晴らしい、そう言って涙を流す人の顔に嘘の匂いは感じない。ただ、それは僕よりもっと立派で賢くて善良な選ばれた人間だけが味わうことを許された特権で、僕みたいなどうしようもない人間には縁がないものだと思っていた。僕には何ひとつ純粋で美しい感情はなくて、何を見ても心は泥のように無反応で、ずっと鬱屈した暗くて醜いものだけを心の中に育てて生きてゆくのだと思っていた。(CHAPTER-5)

 

学の出したこの答えに応じる形で洋一とサオリの物語がある。理紗の弟の洋一は、生身の女性に性的感情を覚えない、死体にしか欲情しない性癖をもつ。そのせいで彼は本当の意味で他者に受けいれられることをあきらめて生きているのだが、サオリと出逢い、さらには学と理紗の事件を通じて、少しずつ変わってゆく。

理紗に代わって学の葬儀に出席するよう頼まれた洋一は、自分の性癖から恐れを抱き、出席することをためらった。しかし、片手で数えられるほどの葬儀者のなか、本当の死体と対面することで、生からかけ離れた死というものをそこから洋一は深く感じとる。葬儀のあとで洋一は、大事なひとには自分より先に死んでほしくない、とサオリに告げ、学の死から生への意志を獲得するに至る。

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生への意志を獲得するという点においては、洋一とサオリの物語だけでなく、学と理紗の物語もまたそうであった。だが向かう先はまったくの正反対である。なぜなら、死から生を感じとる機会が、学には最後まで訪れなかったからだ。彼の母も三沢も、殺したのは武の人格であって、学の人格が殺したのではない。彼は最後までひとの死と向きあう機会を得ることができないまま、生の恐怖に怯えつづけて死んでいったのである。

七年ぶりに逢った理紗はあまり昔と変わっていなかった、と泉が言い、洋一がひどく驚く場面がある。学と理紗だけが七年前の時間に縛りつけられたまま、どうすることもできずに、ただなにかが終わるのを待ちつづけた。学が病院で自殺したのち警察に出頭した理紗が、かつて自分をレイプしつづけた父親と再会し、「警察の方には、全てありのままのことをお話します」と涙ながらに語ることで、彼女の時間はようやく動きはじめたのかもしれない。

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●付記

諸方で指摘があるように、この小説は前作『CARNIVAL』を補完する役割が大きく、単体だけで読むものではないだろう。その意味では、この記事も前記事から続けて読んでもらえればとてもありがたい。物語としては前作で終わったほうがよかったのだろうが、続篇が書かれることで、瀬戸口ならではの過酷な現実がより鮮烈な形で読者に突きつけられる結果となった。本作が書かれなくてもこうなることはわかっていた、という読後感こそ、その最たるものであろう。無論これは褒め言葉である。

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