ワザリング・ハイツ -annex-

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『罪ノ光ランデヴー』真澄あいルートを読む(感想・レビュー)

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小川未明の『赤い蝋燭と人魚』の焼きなおし、ではないけれど、実は本作では、文学史的に見ると重要なある切り口から小川未明の作品を批判的に敷衍していることがわかる。本家については過去記事を参照。

sengchang.hatenadiary.com

また、たまたま読んでいた木村敏の書籍に、テレンバッハの仕事を分析しながら罪責妄想について書かれた箇所があり、あいルートとの見事な合致に驚いたので、そのことについても触れておいた。

それにしてもここのところのminoriはめんどくさい系ヒロインでひと旗揚げようとでもしているのだろうか。いずれにせよ、聞いたほどひどくは感じなかったあいルートの講評といきます。

 

●純粋な子供という幻想

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『赤い蝋燭と人魚』ではなにもできず悲劇に巻き込まれる受動的な子供が描かれる。小川未明の時代の日本では、子供を純粋無垢で聖なるものと捉える、いわばワーズワース的な価値観が一般的となり、児童文学では常にそのような子供ばかりが描かれたという背景がある。それを本作の作家がどこまで知っていたのかはわからないが、ここに切りこむような形で、そういった慣習的な子供像を内側から喰いやぶる物語に仕立てあげた創意は、なかなか洞察に富んだものだと感じた。

『赤い蝋燭と人魚』のなかで、主体的になにもできなかった人魚とはちがう、自分でなにかを獲得する物語をつくろうと試みる優人とあいの姿勢が、椿風香の姿勢と同じである点もさらに面白い。円来のルートもそうであったけれど、本作ではこういった主体的な選択が罪を乗りこえる光として捉えられるきらいがあり、幸福を待つ傾向のある私たちの古傷に容赦なく塩を塗ってくる。しかしながら“世界が変わらないのであれば私が変わる”は、みずかやはるかの自己の問題も含めて、minoriの通底した主題になりつつあるのかもしれない。

 

●罪責妄想

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あいの抱く罪を通して精神病理学的な主題がここでも展開される。あいの罪は結局のところ彼女の思いこみにすぎなかったことが明らかになるのだが、それは彼女が優人との結びつきを保つために必要としたものであり、生きるために現実をゆがめて認識するという、典型的な関係妄想の形なのである。

 

鬱病患者はなにごとにつけ「取り返しのつかないことになってしまった」という特有の後悔の気持ちを抱く。この取り返しのつかなさが妄想の形をとってモラルの面に現れると、償うことのできない罪を犯したという「罪責妄想」にさいなまれることになる・・・・・・。(木村敏『心の病理を考える』)

 

あいさんの鬱病認定待ったなし。彼女は自分が優人と繫がるために自ら罪の物語をつくりだしたわけだが、そうせざるをえないほど追いつめられていたとここでは考えてあげるべきだろう。『12の月のイヴ』でみずかがあらゆる問題を白紙に戻すためもうひとつの人格をつくりあげたのとこれは同じ手順なのである。ある物語を否定するために別の物語をつくりだす。さらにもうひとつ当該の主題との興味深い符合をここで提示してみる。

 

罪責体験を表現するのに日本人は「済まない」という言いかたをする。これは何かある事柄が完了しない、過去が未完了のまま残っているという意味である。(木村敏『心の病理を考える』)

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罪の物語で繫がりつづけていたいという彼女の思いは実のところ、どうしたら優人とこの先も繫がりつづけていられるかという、未来に向けて開かれたものであった。『CROSS†CHANNEL』みみ先輩が終わらない作業を故意に延々と続けたように、決して完了することのない優人と結びつく未来を見据え、彼女は罪の物語にすがりつこうとしてきたのである。こうした罪責体験や関係妄想から抜けだす契機として、父の過去が明らかになったり、優人が火をつけたりする、陳腐だと批判もされた出来事が埋めこまれているのだけれど、精神病理の臨床の見地からすれば、それが普通のことだとも言える。重大な事件が当人をゆさぶり病を抜けだすきっかけとなるほうがよほど稀なケースなのである。優人はただ蝋燭を手にもってあいの思考をなぞっただけにすぎない。あいは問答によって頭を整理し、絡まっていたはずの思考がするりとほどけて、前向きな気持ちをとり戻す。このなんでもない過程が、心の病が快方に向かう際の実際であると思うのだが、どうだろうか。

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●付記

蜜柑の絵画に対する姿勢と考えが深すぎてそれだけで一本記事が書けそうなほどであった。あまりに個人的にすぎるので書くつもりはないけれど、描くことについての彼女の考えが、優人やあいの“物語”についての捉え方とどう響きあうのかを考えてみたいという気もする。

⇒『罪ノ光ランデヴー』椿風香ルートを読む(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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