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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『花物語』を読む(感想・レビュー)

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アンチが山のように湧く「化物語シリーズ」のうちこれだけは再評価を強く勧めたいという一作。沼地蝋花の抱える地獄は感情論では解決できず、だからこそ感情が起因で怪異を呼びよせた神原駿河をあえてぶつけたのだろうが、隙のない論理で悪を語る沼地のその論理こそが実は感情に強く支えられている点が逆説的でとても面白い。忍野や貝木をはじめ、この作品では話を聞く立場にある人間の魅力がひき立っており、そこはわりあいと気に入っている。

 

●不幸の収集家

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本作は壮大な沼地蝋花の不幸自慢である。不幸の収集という設定をよくぞ思いついたと珍しく設定を褒めておきたい。それだけに限らず、このゆがんだ行動がとても純粋な動機によるものだとわかるにつれて、軽口を叩く沼地こそが不幸の最たる境涯にあったことが明らかになるという、設定の生きたプロットが綿密に組まれているのだ。自分より不幸な人間を見てほっとしたいと言う沼地が集める“不幸”の多くは、適当な相談方法で納得してしまう人間の些末な悩みに過ぎず、そんなものを収集したところで彼女自身が勇気づけられることはほとんどないはずである。かつての沼地はそうした相談者よりもはるかに不幸な境遇にいたからだ。

しかし、むしろだからこそと言うべきか、沼地は自分よりも不幸な人間を探しつづけてやまない。どんな悩みも時間が解決してくれると口にする彼女だが、決して消えることのない悩みに苦悶し、挙句の果てに自殺してしまった彼女は、自らその身で解決しない悩みがあることを物語っている。死んでからもなお不幸の収集を続けざるをえないほど、彼女の悩みはその心身に深く根をはったままなのである。

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ここにはどうしようもない現実にうちのめされた沼地の深い絶望がある。偽物が本物より本物であるとかつて貝木が述べたように、真の絶望に支えられた沼地の諸々の言動は、それがたとえどんなに矛盾に満ちていようとも、不幸を演じているに過ぎない者たちにとっては紛うことなき真実のごとく見えたということなのだろう。「なにに負けたのかわからない人生だった」という沼地の言葉はあまりにも悲痛な叫びである。

 

●善悪の主題

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善悪の問題は物語シリーズを貫徹する大きな主題のひとつである。主に偽物語で展開された勧善懲悪の否定という主題が本作でもまた中心に据えられる。どんな悪も誰かを救い、どんな善も誰かを傷つける。骨身に沁みた絶望感に支えられた沼地の善悪論は、一般化された善悪論でしか戦うことのできない神原をまったく寄せつけない。悪魔のパーツ自体は悪である一方、それらを無償でひき受けようという他人の不幸を肩代わりする沼地の行為そのものは、見方によっては無償の善意だとも言える。

物語シリーズの善悪論はかなりくどいし、ミルトンの『失楽園』を読めばそこに全部書いてあるのだけれど、まるで言葉遊びのような表裏一体の善悪に翻弄されて、なにを自身の“本物”だと見做すのか、その過程が色とりどりに描かれている点を楽しむべきだろうとも思う。

 

●付記

映像化には向かない作品なのは映像化されたものを見れば一目瞭然なのだけれど、デジタル・ノベルに親しい私はあまり気にならなかった。化物語シリーズの多くが見ていて眠たくなると言われるのは、 いわゆる“Conversation novels”の枠組みが思想の弁証法的展開や語りそのものに援用されているからで、これが映像向きでないことは明らかである。そこはシャフトの努力を褒めるべきだろう。

⇒『猫物語』を読む(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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