ワザリング・ハイツ -annex-

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『氷菓』を読む(感想・レビュー)

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小説の領域でもアニメの領域でも「『氷菓』が好きだ」とあまり大きな声では言えない風潮が息苦しくて癪である。だがたとえば同時代の作家で米澤穂信のような物語を書けるひとはいないし、機知に富んだ文章も眼を見はるものがあり、彼に眼をつけた京アニはさすがだという感じがする。

みなさん諸々不満もあろうが、いやいや、『氷菓』はよい作品ではないか。理知的な言語ゲームに巻かれて見逃しがちな機微に注意しながら、折木と千反田の変妙奇怪な日常をここで少し追いかけてみたい。アニメと原作のクロスレビューでどうぞ。

 

●情意という解けない謎

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解明されない謎を扱った小説群が古典部シリーズなのだと個人的には思っている。米澤が描く“日常の謎”を私はふたつの意味で捉えた。ひとつは文字通りの日常の謎であり、これは折木によってひとつひとつ解明される謎である。その一方で最後まで解明されない様々な謎があることに気づいたひとも多いのではないだろうか。千反田のおじが失踪した理由も、明言されない入須の本心も、生徒会長陸山宗芳が漫画を書こうとしない理由も、最後まで明かされることがない。私たちが日常のなかでぶつかる様々な謎がそのまま物語にも現れてくる。これこそが本当の“日常の謎”なのである。言いかえるなら、それは自分とは絶対的にちがう他者の心という謎であり、時に論理的な推理を斥ける厄介な代物である。

この観点からならば私は米澤の小説を推理小説ではないと否定してもよいと思う。彼の物語の多くは、未解決のまま残されてしまう他者の謎に重きを置き、あくまでその舞台装置として事件の推理が用いられる。だからこそ米澤作品は文学としての条件を十分に満たしていると言えるのだ。

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一連の解けない謎を通じて折木の気持ちはゆらぎはじめるわけだけれども、彼が直面するのは、自分ではどうしようもない事実や第三者の感情の問題ばかりである*。千反田のおじを退学に追いやった非人称の悪や、才能の敗北を否定できない河内先輩や田名辺先輩、さらには福部里志の寂寞、そしてなにより期待や過信によって起こった折木の大きな失敗は、明らかにできない他者の心に関わる問題に端を発する。折木の変化はあくまで、事件そのものと関わりのない経験によるものであり、謎解きは副次的なものにすぎないことがわかる。推理を中心としつつも、物語自体は周辺に生じる決して解けない心の謎に光を当てたものばかりである。

やりきれない場面にゆき遭い、そこからどう踏みだすのかがむしろ解決すべき“謎”なのであり、膠着状態から懸命に踏みだそうとする折木や千反田の姿はとてもみずみずしく映る。私が推理小説を得意としない理由は、謎がすべて作為的なものにすぎないからなのだが、米澤はそこにひとが無意識に生んでしまう謎を並置しており、豊かな文学的主題を展開してくれる。折木が魅力的に映るのは、推理以外のこうした謎をめぐる問題と闘うときにこそ、いきいきとした表情を見せるからなのだろうと思う。

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*身内の問題に踏みこむため、折木には自分をむきだしにして他人と向きあう手続きが必要だったのであり、千反田のおじや入須の件を大きな転機としながら、彼の情操教育(笑)は順調に進んでゆく。折木が身内の問題に踏みいるのは福部里志のチョコレート事件がはじめてであり、千反田の一件もあくまで彼女のおじ(第三者)の感情と向きあっているにすぎず、千反田の本質的な部分に踏みこむのはかなり時間が経ってからなのだ。

 

●付記

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これは余談だが、伊原の親戚である善名姉妹の微妙な距離は、小説においては最後まで解消されることがない。しかしアニメ版では、梨絵が嘉代をおんぶする場面が最後に追加されており、ほろ苦い現実に光を射す展開が用意された。米澤と京アニそれぞれの、作り手としてなにを目指すかという姿勢のちがいが現れた、興味深い相違点である。

原作のほうの話題としては、久々の古典部シリーズ続篇が雑誌に掲載され、早急な書籍化がいまから待ち望まれる。私が信頼を置くサイトではすでに高い評価を下したレビューが掲載されていた。話の中心はえるたそである。本格的に折木が身内の問題へ踏みこむ姿がこれから見られそうだ。

また今回キャプチャーしていて思ったけれど京アニ作画班は本当にいい表情を描くとしみじみ感じた。

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