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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『向日葵の教会と長い夏休み』 夏咲詠ルートを読む(感想・レビュー)

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SCA-自さんとの相性はわりとよいほうだが瀬戸口ほどではない。『素晴らしき日々』で人物が物語装置化していたり、物語の手段であるはずの伏線回収をほとんど物語の目的としてしまうあたり、あまり信用はしていない。だけれど本作の詠ルートのようなものはこれからもたくさん書いてほしいと思う。この物語はとてもいい。

また、本作は日本神話をうまくとりいれた物語となっており、そのあたりは以下のサイトを参照するのがいいかと思います。自分の記事の前にひとの記事すすめるとかかなり強気ですが。

向日葵の教会と長い夏休み 夏咲詠ルートの感想・レビュー - 益体無い話または文

それでは詠ルートを見ていきましょう。

 

●ふたりの詠

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前世の者が実現できなかった物語を後世の者が形にする物語。慣習的な物語であれば、自分が実現できなかった夢を親が子供に託し、それを子供が実現するという展開になるわけだが、本作の試みはそういったものと一線を画する。詠が実現できなかった物語(未来)を、黒猫が代わりに実現しようとするうえ、黒猫の自己存立の問題がここに関わってくるという、目頭が熱くなる展開の目白押しである。このあたり、ひと言で片づけるのは惜しいのだが、民話の説明をすると長いので要点だけをかいつまむ。

詠の最期を看取った黒猫は彼女になり代わって葉介と詠の物語を紡ぎつづける。葉介が町を去ったあとも彼女は彼を待ちつづけ、長い年月を経て戻った彼とまたふたりの物語をはじめる。本物の詠が成仏するくだりや、黒猫が人間になるまでの過程も、丁寧に描かれておりとても味があった。民話を基に物語を構築するやり方は日本文学でもなじみのものであるし(翻案やパロディ)、模倣の問題がとり沙汰されているいまだからこそ、もっと積極的にとりいれてほしい物語の形ではある。この点についてはいろいろと思うところはあるけれど、ここではあえて踏みこまないでおく。

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ふたりの詠の物語を支えるのは、黒猫の真っ白な心である。人間詠と黒猫詠の関係は、現実的に置きかえてみるならば、元恋人の代わりの役をひき受け彼を幸せにしようとする現恋人、となるわけで、元恋人への気持ちを清算しろと求める働きかけが現恋人から必ず起こる筋書きである。しかし黒猫詠は人間ではなく猫であり、寝子麗になるため人間の感情を知る訓練をしている最中であり、この愛憎関係が絶対に成立しえないというところが面白い。嫉妬を抱くという現彼女の慣例的手続きがまったく埒外とされてしまうのである。

もちろん、葉介と過ごすなかで、黒猫詠はのちにそういった人間的な感情をひとつひとつ学んでゆくし、そこには生臭い否定的な感情もあるわけだが、そういったものは猫が“学ぶべき人間の感情”として転化されてしまうわけで、この巧みな異化には思わず舌を巻いた。黒猫詠にとっては負の感情ですら葉介とともに生きるために欠くことのできない大切な気持ちとなるのである。

 

●代理体験と自己の確立

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黒猫詠はあくまで人間詠の代わりに葉介と過ごすための存在であった。猫であった彼女は人間詠の代役を通して人間としての自己を築きあげてゆく。しかし同時にそれはあくまで人間詠の“いれもの”を通して葉介から「まなざされる」ことによる自己定立であるため、次第に黒猫詠は本物の人間になること、人間の黒猫詠として葉介から愛されることを望むようになる。

そんな黒猫詠に葉介がかけた言葉はとても大切である。黒猫であった詠を好きになった、という彼の言葉は、人間詠をなぞるような黒猫詠の生き方そのものが、ほかの誰でもない、彼女だけにしかできなかった生の形なのだと認める言葉なのである。こうして人間としての黒猫詠の自己が確立される。代理体験が自己獲得の契機となる、まさにお手本のような物語である。

また、もし寝子麗になれなければ――すなわち自己がうまく確立できなければ――「マガイ」になってしまうという、まるで現代人を象徴するようなゆく末が用意されていたのも大変興味深かった。しかし私としては、この「マガイ」になってしまった人間が「ホンモノ」らしくどう生きてゆくのか、あるいは生きてゆけるのか、という主題にこそ興味がある。SCA-自はいつかこのあたりのことを書いてくれるのではないかと少し期待している。

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●付記

絶賛夏休みということで本作を紹介した。ほかのルート(金剛石以外)もわりと面白いが本記事では華麗にスルー。ルカルートのimaginary friendについては、個人的に、大島弓子の「フロイト式蘭丸」も併せて読むことをおすすめする。

OPの「ずっと、この場所であなたの帰りを待ってた」という言葉が、実はふたりによって語られたものであることを知って、ぐっとこないひとはいるまい。OP曲は毎夏の旅行のお供である。

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