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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『夏空のペルセウス』を読む(感想・レビュー)

ノベルゲーム(game) ノベルゲーム(game)-夏空のペルセウス 感想・考察(レビュー) 感想・考察(レビュー)-夏空のペルセウス

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一年ぶりにやり直してみると、恋ルートもそれほど悪くないな、という印象。自分たちの置かれた状況を透香との対話を通じて静かに丁寧に述懐するくだりなんかはとてもよい。この恋との物語をより現実的に語りなおした物語が『罪ノ光ランデヴー』の風香ルートだと以前にも書いた。

sengchang.hatenadiary.comそのため、ここでは恋ルートをとりあげるのではなく、あえて透香ルートに焦点を当ててみたい。本作をわざわざやり直したのは、彼女の物語においてなかなか面白い主題が見えてきたからである。

 

 

●心的痛みと身的痛み

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“痛み”が二重の意味をもつ本作においては、当然ながら、痛みを癒やすとはどういうことなのかが大切な問題とされている。ひとは他人の心の痛みを癒すことはできても、身体的な痛みを肩代わりしてあげることはできない。しかし森羅にはそれができる。他人の痛みを文字通り自分の痛みとしてひき受けることができる。その力にひとが群がり森羅と恋は他人からいいように利用される人生を送ってきたのであった。ふたりは誰もいない土地で力を隠し生きてゆこうと決意する。それがこの物語のはじまりであった。

大切なひとの生を相手の――そして自分の――身体ごとひき受ける物語が『ぼくのたいせつなもの』であったが、森羅もまた、透香の身体に巣喰う死の病を文字通り身体ごとひき受けて彼女を救いだそうとする。それをただの自己満足だと一度は否定した透香も、彼女を救いたいという森羅の気持ちが彼女を想う気持ちであることにも気づき、ふたりの絆は無事に結ばれる。一見すると慣習的な手順を踏んでいるように見えるものの、ここには奇妙なねじれがある。

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相手の精神的な痛みをひき受け、その結果、自分の精神的な痛みが消えてゆく。ボーイ・ミーツ・ガールのノベル・ゲームはほとんどがこの手続きを踏んでおり、セックスを盛りこむアダルトゲームのお約束上、それが身体を触媒とするものも多い。それでも交換されるのはあくまで心であった。相手の心が自分の心を癒やしてくれる。しかし『ペルセ』はそうではない。相手の心の痛みをひき受けようとするのではなく、受けいれなくてもいいのだという結論にゆきつくのである。「透香の痛みじゃなくて、自分の痛みを受け入れることにした」と森羅が述べたように、心の痛みは各々が自分でひき受け、ただ相手の身体的な痛みだけを彼は受けいれようとする。そのような純粋とも言える身体的疎通は、自身の力に対する森羅のコンプレックスや彼の力そのものを解消し、すなわち彼のゆがみまでをもとり除いてしまうのであった。心のふれあいではなく、身体のコミュニケーションだけを通じて心の問題が解決されるというのは、実はあまり例がないのではないだろうか。

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身体的痛みをひき受ける森羅の能力によって、森羅と透香は同じ痛みをほぼ完全な形で共有することができた。ここでは痛みの交換によって「感応的同調」ないし「共振」が起こり(市川浩『精神としての身体』)、互いの身の状態が共有されるという、ふたりの間でしか起こりえない特別なコミュニケーションが生まれたと言える。現実ではありえないゆえ、この特別な疎通はあくまで比喩的なものだが、そういったものこそが他者との関係の問題を解決する唯一の鍵であると本作は主張しているようにも感じられた。

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※また、これは余談だが、自己と他者の身体の痛みというのは哲学的難題のひとつであり、ウィトゲンシュタインはもちろんのこと、日本では大森荘蔵やその弟子である野矢茂樹が深く論じている。この問題は認識論にも関わるものであるため、野矢は『心と他者』でアスペクト論を論じるにあたって、導入としてこの問題をとり扱っていた。アスペクト論については以下の記事を参照。

sengchang.hatenadiary.com

 

●付記

もうほとんどminori信者。本作はあまり評判がよくないもののそんなのは私の知ったことではない。新作『トリノライン』もいいあんばいにねじれた主題が出てきそうでいまから期待大である。おそらくは心身二元論を肯定するか否定するかが物語の鍵となることだろう。そうなるといいな。minoriの近年四作はどれも精神病理学的な問題をとり扱っており、だからこそ私を惹きつけてやまない。今後も創意に富んだ作品を発表してほしいものである。

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