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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『SWANSONG』を読む 後夜(感想・レビュー)

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柚香の言う、「ここでは何か望まないと、最低でも望むフリをしないと、まともに生きていけない」という言葉は、普通の社会生活にもそのまま当てはまるものであり、『CARNIVAL』が暴きだした過酷な真実でもあった。学と理沙の生き方は、ニーチェキルケゴールの提示した生き方そのものだけれども、やはり本作の問題もそこに帰結するものであり、真実という幻影こそがすべての鍵を握っている。

かまくらにこもってひとり暮らす男の述べた、「使い道がなくなって、芸術品として純粋になった」、という考えは、のちの『死体泥棒』にも通底する主張である。こうした“むだの価値”という考え方が本作では頻出するとともに、それを尊いものとして尊重しようとする司や雲雀、妙子の態度と、そこに価値を見いだせない柚香や鍬形のような実際的態度との対偶関係こそが、本作の主題をややこしくしている元凶なのではないだろうか。

後夜もやや長いので先に論点を提示しておく。一点目は、関係の病に苦しむ柚香が主体的な自己の獲得に最後まで明るいものを見出せないという話。二点目は、一意的な価値の成立しえない世界においてもなんとか人間的な生き方を見つけようとする人々の話。本作の本質を捉えるのであれば、後者を一読するだけでも問題ないかと思うので、端折りたければふたつめの●までお進みください。

 

●無意味な生という有意味

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『CARNIVAL』での中心主題は、幸福は決して手に入らないがらくたである、というものであった。柚香にとってもそれは同じであり、彼女はいつまでも幸福を追いつづける自分の“むだ”な人生に我慢がならない。学と理沙が手の届かないにんじんを追う生き方を受けいれた一方で、柚香はこの物語でそれを最後まで否定しつづける。どうせ死ぬなら楽しいことだけを考えて過ごせばいい、という柚香に、それは本当に絶望した人間が考えることだ、と司は諭す。驚いた柚香は、むしろ前向きな意見のつもりで話したのだと弁解するものの、司の言葉ではじめて、彼女は自分が心の底から絶望していたことを自覚する。前夜でも指摘したようなねじれた思考ないし矛盾がここでも顕在化してくるのである。

「口では平和だとか、幸福だとか言っても、きっとそんなに好きじゃないんです。言うだけなんです。誰かのせいにして憎み合ったりするのが好きなんです」と柚香が非難した人々は、むしろ幸福をとり戻すために努力している人々であり、残された時間をせめて幸福に生きたいと願う柚香こそが、その幸福を真っ先に手放そうとしている――生き残ることをあきらめていまを楽しく生きればよいと投げやりになっている――人間なのである。司があぶりだしたこの奇妙な矛盾こそが、柚香というねじれた人間を形作るものでもある。彼女は常に、自己を他者に投影したうえでその相手を否定しようとする。それはすなわち、自分が成しえなかったことを相手が成し遂げてしまう未来を否定したいと願う彼女の嫉妬心であるとともに、自分が求める幸福の幻影を否認する諦念だとも言える。柚香は自分が幸福になれないことをよく知っているのである。だからこそ、幸福を求める他者の姿勢を、無為なものだと強く否定しないではいられない。

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幼いころ、司の圧倒的な才能を前に挫折を味わった柚香は、一切なにも感じずに生きることを心に誓った。それゆえ、周囲の人間が極限状態で苦しんでいるのを見ても、柚香はなにも感じない。そんななか彼女は、昔のようにピアノを弾けなくなってしまった司が、柚香と同じように、少年時代の自分の才能――昔の自分の音楽に苦しめられていることを知る。柚香が司に想いを寄せはじめたのはそれが理由であった。司が自分と同じように過去と闘っていると知り、その闘いに敗北すれば自分のように惨めな人間になるのではないかと、彼女は無意識に期待したのである。だからこそ、鍬形に殺されかけている司を見て柚香は、そのまま司が屈服するのを願っている醜い自分に気づく。

すべてが計算されており、他者と関係する自分に外から冷たい眼差しを送るもうひとりの自分がいる。そのことに自覚的である柚香は、自分の生きる現在と主体的な関わりをもつことができない。

有機体にとっての「現実」とは、そこに生きている有機体がそれに対してどのような態度をとるかの「関数」なのであって、それは換言すればそのような「現実」を主体的に作りだす「機能」なのである。(ヴァイツゼッカー『病因論研究』木村敏: 解説)

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主体的に物事と関わりをもたない柚香には、いきいきとした現在は決して生まれえず、変化する現在からひとりとり残されて、ただ過去や現在の自分を他人のように眺めることしかできない。ヴァイツゼッカーの言うように、人間は常に自身の生きる現在と不断の関わり(「相即」Kohärenz)を保ちながら、環境に応じて新たな自己を獲得する生き物である。しかしその主体性が阻害され、現在との関わりのなかで自己を定義することができなくなった柚香は、現在の悲惨な状況を見てもなにも感じえないと述べ、例によって離人症状を呈してしまうのである。相手を想う気持ちでさえも、彼女はそれを外から眺め、その気持ちが相手に、そして柚香自身にどう作用するのかを冷たく分析し、相手との関係が“正しい”ほうに向かうよう機械的に感情を動かしているにすぎない。しかも諸々の言動は、「相手から求められた」という受動的動機に基づいており、自身の孤独を埋める目的へと収斂されてしまうのである。それらすべてに自覚的である柚香は、「こういう感情は自分のなかにしまっておくべきもの」だとこぼしているが、本当にまったくその通りである――彼女はいつでも正しいが、その正しさが彼女を救うことは決してないのである。

こうした柚香の言動はどれも自分を幸せにしようとして為されたものではない。あくまで自分の虚栄心や嫉妬心を隠すためのものにすぎず、他者との関係のうちに自らを位置づける健全な態度をとりながらも、その動機と目的は常にゆがんでいる。自分を相手に投影してその相手を冷徹に欺き、陥れる。それによって投影した弱い自分を否認するとともに、相手も自分と同じ弱い人間であることを確認して、それを心の寄りどころとする。相手を冷たく拒みながらも、自己存立のためだけに依存関係を求めるという、いまをときめくおそろしい関係を構築するのが柚香という人間である。しかも最悪なことに、本人はそれをすべて自覚しているのだ。

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こうしてなにもかもがむだであるという思いに囚われ、過去を克服しようとしない投げやりな柚香に、司は“むだの価値”を見出すという考え方を対峙させる。これまでに司が聴いた最もよい演奏は、落ちぶれた父親が絶望のなかでタクトをふった、地方にある二流のオーケストラの演奏であったという。もう一度ピアノが弾けるように努力することが無意味で、自分の人生がすべて無為のうちに終わったとしても、それでもよいと司は言う。「一番必要なものは何も失っていない」と司は確信をもっており、大切なのは前と同じようにピアノが弾けるかどうかではない、と柚香にはっきり告げるのであった。

常に肯定的な姿勢の司に対し、柚香はあくまで否定的である。この議論は並行線をたどり、trueとnormalのどちらをたどっても、最後まで決着がつくことはない。しかしそのように苦悶しつつも、ただ生きつづけることこそが、『CARNIVAL』で学と理沙が出した答えではなかったか。だからこそ学は、「手遅れだった」と遺書に書きながらも、自殺する直前に、人生はすばらしいと回顧している。すべてがむだで手遅れであっても、自分はやはりこうして生きるべきだったのだ、という学の感懐こそが、司と柚香が未来で手に入れるべき唯一の答えであり、本当に無為な生がわずかでも有意味となるためには、むだな人生を最後まで生きることが必要なのである。

 

●一元性の解体

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対立秩序を成立しえなくする、いわゆるパースペクティヴによる闘いについては、すでに前夜にて述べておいた。司と柚香の議論もまた、決して交わることのない各々のパースペクティヴにおいて展開されているにすぎず、それゆえ最後まで並行線をたどる。本作では勧善懲悪や絶対的な正義は存在せず、明らかな悪行でさえも、ある種の説得力をもった反論の対象となりうる。一元性が存在しえず、あらゆる対立概念が互いを含みこむという矛盾が生じ、永井均の言葉を借りるならば、いくらうしろにまわり込んでも、いつか必ずうしろにまわり込まれてしまうのである。本作においては、正しいと主張されるものは等しく否定され、また悪と評されるものも等しく正当化されてしまう。また、互いに交わらないパースペクティヴを鍛造し、自身の秩序の正しさのみを掲げる高慢な姿勢こそが、本作では強く否定される。

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たとえば、ひとを騙すための宗教も、妙子には深い感銘を与え、彼女をここまで育ててくれたものであることが切々と語られる。孤独だった妙子に知のなんたるかを教え、豊かに育ててくれたものが、彼女の属する宗派についての一連の文献なのであった。ただ頭のおかしい宗教集団だと揶揄された大智の会は、孤独な妙子の知性を豊かに養い、先人のすばらしい叡智によって長い時を経て形作られた宗派だったのである。一切の先入観を排し、あくまで相対的な視座でもって、第一義的な意味の成立を否定してゆく本作は、世の中が矛盾に満ちた価値で構築されながらも、いかに繊細なバランスの上で成りたっているのかを描出してみせる。一意的な価値が存在しない非情な世の中で、果たしてひとは他者を信頼しながら生きていけるのか。その問いに応えるべく雲雀があろえについて語った次のようなくだりがあった。

あろえには“仲間”という概念がない、と雲雀は言う。そうだとすれば、いまの状況にある人々はみなあろえのような存在だということになる。自分の仲間を見つけられず、孤独で、周囲のものが自分にとってわけのわからない意味を押しつけてくる存在にしか見えないという、おそろしい状況――意味が決して固定されず、めまぐるしく拡散する不合理な環境である。しかしあろえは生まれたときからずっとそんな環境でひとり生きてきたのであった。それでも、壊れた彫像の破片を超人的な直感で組みたててしまうあろえの特技などを挙げながら、彼女はこれまで自分なりに結びつくものを探して生きてきたのだ、と雲雀は主張する。これはとてもやさしい、実に雲雀らしい視点であった。

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物語序盤で雲雀は、病気があろえのすべてみたいな考え方がいやだと言っており、それに対して出した答えが、終盤のこのひと幕によく現れている。あろえの病を人々に普遍的なものとして捉えなおし、絶望的な状況でも他者に手を差しのべることを忘れない生き方を、雲雀はここで提示してみせた。本作では、異なった常識をもった集団を明白に並存させているものの、実際にはこれはごく日常的な状態であり、非現実的な惨状がそれを異常のように見せているだけにすぎない。

しかしながら、それすらもいわばきれいごととして斥けられ、結果的に雲雀は鍬形たちにレイプされてしまうのだからやりきれない。雲雀の示した、どんなときでも他者に手を差しのべようとする生き方が、果たして現実的に可能なのかどうか――残念ながら、この疑問は問う以前に棄却されてしまっている。唯一の良心である雲雀の美しい洞察でさえも、一元性を否定されて水の泡となるのが、私たちの生きる非情な現実なのだと言わざるをえない。

 

●付記

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柚香は地震前となにも変わらないし、司は柚香について一切なにも語らない。このとてつもない違和感よ。雲雀と田能村はあくまで自分らしさを貫くという、よい意味で変わらない。こちらはとても気持ちがよかった。変わらないということさえ二重の意味で語られており、対立概念が本質的には対立しえず、互いを含みこむ関係に解体されるさまはまるで、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読んでいるかのようであった*。*ヒリス・ミラーやテリー・イーグルトンは、『嵐が丘』に現出する対立概念が、対立しながらも互いの一部ともなりうることを論じ、ポスト構造主義的な読みを広く展開した。(J. Hillis Miller. “Wuthering Heights: Repetition and the ‘Uncanny.’” Fiction and Repetition: Seven English Novels. / Terry Eagleton. Myths of Power: A Marxist Study of the Brontë.)

理紗は狂っていると思ったが、柚香もまた存分に狂っていた。私は柚香のような人間を心の底から軽蔑するが、彼女のような人間にしか魅力を感じないのもまた事実であり、本作の通読がこのうえなく苦痛で仕方がなかった。それと同時に、自分がこういう人間の物語を喉から手が出るほど欲していたと気づき、もはや惨憺たる思いを味わったとあえてここで言っておく。精神病理と付きあいのあるひとが本作を読むのであれば、自分と向きあう覚悟を十分にもったうえで、一度深呼吸してから手にとってほしい、そんな作品である。『CARNIVAL』と同じく、私は本作を誰にもすすめたいとは思わないが、それでもなお『CARNIVAL』を越える完璧なつくりでまったく隙がないことから、本作はほかに例を見ない傑作であると言わざるをえない。

⇒『SWANSONG』を読む 前夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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