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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『生命のスペア』を読む(感想・レビュー)

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“I was born for you”という副題については、恵璃の妹璃亜が姉のスペアであるということ、そして竜次が兄のスペアを強要された過去をもつこと、竜次と恵璃の死とひきかえに璃亜が第二の生を授かったことなど、いろいろと含みがあるようである。臓器移植の一件から、発売前より『ぼくのたいせつなもの』との接点が指摘されていたものの、実際に臓器移植が行われなかった以上、『ぼくのたいせつなもの』で描かれたようなより深い心身の問題や生命倫理の主題に踏みこむことはなかったが、近い将来に私たちが直面する問題を扱っているという意味では、本作もまたひとつの価値ある問題提起を行った物語として評価してよいと思う。

 

●自己同一性という自己中心性

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姉のスペアとして生まれ、ゆがんだ価値観を育ててしまった璃亜に対して恵璃は、誰かの命を救うためにほかの人間が死ぬのは間違いだ、と強く主張してやまない。それに対する璃亜の主張は、自分にとっては「姉のために死ぬこと」が生来の自己同一性であるため、それがなくなれば自己存立の根拠がなくなってしまう、というものであった。まさに死ぬこと=自己確立という『ナルキッソス』でも提示された矛盾をはらむ生の意義がここでも切に語られている。やがて璃亜は自身の自己存立をゆるがす恵璃の死と向きあい、それを新たな自己確立の礎石として捉えなおす。『生命のスペア』は、ひととしての尊厳をはじめから否定されて生まれてきた璃亜が、姉の死によってひととしての“心”を得る物語でもあった。

姉を助けたいと主張する璃亜のゆがんだ論理は、恵璃の意思を完全に黙殺して成立している。璃亜の死後に、恵璃が罪悪感を感じずに生きられるはずはない。また、自分が“生かされている”理由、すなわち「姉に心臓を提供する」という自分の唯一の自己同一性を否定しないでほしいと璃亜は懇願するのだが、ここでもやはり恵璃の自己同一性のほうは考慮されないままである。このあたりはお決まりの手続きだけれど、本作ではこの問題をもう一歩踏みこんで描きだしてゆく。

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死ぬまでの時をふたりで生きようと決意し、竜次の家で暮らしはじめた恵璃と竜次だったが、やがて申しあわせたように気持ちのすれちがう時がやってくる。恵璃にいたっては、両親に必要とされなかった竜次の心の隙間につけこみ、さらには死への恐怖をまぎらすために竜次との恋人関係という“ままごと”を必要としたという、自己懐疑的な考えに囚われてしまう。つまりは自分の自己同一性が、自身の苦しみをまぎらすことができるという都合のよい方便によって成りたっており、実は彼の気持ちを踏みにじる形で保たれているのではないか、と彼女は自分に問うているのである。これはかなり難しい問題で、生きていれば誰もが一度は直面する問いでもある。それに対して竜次の出した答えは、それでもかまわない、というものであった。自分を必要としてくれたというそれだけで彼には十分であり、むしろ自分が彼女のそばにいてあげたいのだ、と竜次は言う。彼の言葉は『CROSS†CHANNEL』の有名な一節、友情は――あるいは正しい愛し方とは――見返りを求めないことだという、あの言葉を彷彿とさせるものであった。「自分のために、人を大切にして構わない」という太一の心を、本作では竜次がひき継ぎ、さらに恵璃へと渡してゆく。

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他者への想いというのは少なからず自身の自己を保持するためのものであって然るべきである。『紙の上の魔法使い』などでも描かれたこの主題は、自己と他者の関係における根源的な問題であり、他者だけではなく世界に対する関係をも決める重大な要素だと言える。恵璃が妹に告げた、自分がこれだと思えるなにかを見つけてほしい、という言葉は、自分の求めるものを自由に求めてもよいのだという、自由で豊かな他者との関係を肯定するものでもあり、恵璃と竜次が自らの死をもって璃亜に伝えたことでもあった。

 

●付記

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痛みに強いひとはすごいと思う。私は文字通りの力や痛みといったものに昔から弱い人間で、いつもそのことをとても恥ずかしく思ってきたふしがある。だからこそこういう強さを見せつけられると、胸が締めつけられるとともに、自分は自分の身体ともっときちんと向きあうべきではないかと考えこんでしまう。病気に限らず、自分の身体を傷つけたり傷つけられたりした経験のあるひとというのは、自分の生と身体が緊密に結びついていると感じる機会に出逢っているわけで、そのあたりの感覚を私は恵璃や竜次と共有できていないと強く感じた。

話は変わるが、狂った状況こそのあの家族の穏やかさである。思わず『CLANNAD』を想起したというか、決定的なものが欠けているからこそ完璧を装うことができると改めて感じた次第である。竜次が“家族”という問題と本当の意味で向きあうところも見てみたかったが、それがない分むしろ現実的な終わり方であった。すべてが解決されて死んでゆくことはまずないわけだし。きれいに解決することしか考えていない作家に比べればよほど好感をもてる語りであったと言える。

短いと思っていたわりに量を感じた本作。しかしながら手のゆき届いた丁寧なつくりにとてもよい印象をもった。特に恵璃の造形はすばらしく、この分野ならではの独身男のロマンでつぎはぎした人物像でありながらも、自己矛盾から眼をそらさずに追求する強さをもったすてきな女性であったと思う。

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