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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『花咲くいろは』を読む(感想・レビュー)

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能登旅行記念に全話を通して見直してみたところ、やはりひと味ちがう面白さがあり、改めて感服した。仕事についての安い教訓を繰り言のように並べる作品がいまだ多いなかにあって、そういった押しつけがましい科白をいっさい挟むことなく、仕事の良し悪しを具体的に語りだした秀作である。また本作は、「家庭と仕事」という慣習的な主題をとりあげつつも、男(夫・父親)抜きで語っている点がとても新しい。多角的な視点も主題の広がりにひと役買っており、『TARI TARI』を思いだすような、さすがP.A.WORKS・・・・・・とため息が出る演出もかなり多かった。

 

●変わらないために変わること

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男を中心に据えた「家庭と仕事」の物語は、男が働き、女が家を守るという、伝統的な日本の家社会の不文律に立脚している。本作が男なしで「家庭と仕事」をどんな角度から描いたかというと、面白いことに、仕事が母親、家を守るのは子供という、非常に現代的な主題をとりあげている。さらに興味深いのが、家を守る子供であった緒花が、やがては仕事をする立場――つまりは母親である皐月の立場に立つ機会を得るという点である。緒花は家庭を守る人間と仕事を請負う人間の両役を負い、互いの視点から物事を捉える経験をもつのである。これは皐月も同じで、緒花を育てる生活のなかで、母親であるスイの立場を次第に受けいれられるようになってゆく。さらに彼女たちの立場の変化は、“変わらない”という想い、あるいは“変わらせない”という想いに支えられたものでもあった。

皐月が喜翠荘を酷評した記事には、喜翠荘が十年一日のごとく変わらない、ということが書かれていたが、その後旅館に泊まったあとに皐月が書いた手紙にもまた、やはり同じことが書かれている。皐月が徹に語ったように、その所感は正直なもので、変わらないことは決して“悪いことではない”のだと皐月は言う。喜翠荘は変わらないために変わりつづける旅館であり、「変わらない場所」という非日常を客に提供しつづける難しさを、皐月自身もよく知っている。なぜならその過程は皐月自身がたどってきた道程でもあったからだ。

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自分の実家である喜翠荘を酷評する記事を書いた皐月に対し、こんなふうにひとを傷つける仕事のためにこれまで自分はいろんなことを我慢してきたのか、と娘の緒花が問いつめる場面がある。そんな緒花に対し皐月は、少しも怯むことなく、胸をはって「そうよ。」と告げる。

「私はこんな仕事を続けてきた。こんな仕事で、あんたを育ててきた。きれいな、ひとに胸はれる立派な仕事だけが、仕事だって思ってる? あんたから見たら・・・・・・そうね、母さんから見ても、あたしの仕事はくだらないかもしれない。それでもそれなりに必死こいてんの。」

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ここでのふたりのやりとりは、劇場版を見たあとでは、涙なしには見られない場面でもある。夫を亡くし母娘ふたりだけで残された皐月が、緒花との生活を自分の力だけで守るため、本当の意味での母親になること、強く生きることを決意する過程が、劇場版では描かれた。そして同じように夫を亡くして女手ひとつで子供たちを育ててきた皐月の母親スイが、これまでどのような想いで子供たちを育ててきたのか、皐月はそのときはじめて理解するのであった。皐月とスイの関係は少しも変わらないが、どんなことがあってもスイには頼らないという、その変わらない想いが皐月をスイの娘から緒花の母親へと変えてゆく。この矛盾した作用関係がとても人間的で美しかった。

こうした変化はスイにも訪れる。娘の皐月には悪である仕事を続けることで皐月を育てあげたスイは、自分の夢に家族やそのほかのひとたちを否応なく巻きこんでしまったと後悔もしている(ここが最終的に旅館を閉める決断にも結びついた)。しかしその夢を叶えつづけることが、すなわち皐月や縁を守り育てるためには必要だったのであり、変わらない夢のために変わりつづけたスイの不断の努力が、やがて緒花たちを育てあげるいまの喜翠荘を築きあげたのだと言える。

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そのような二世代の物語の上に、緒花たちの物語がある。ふたりの先人のあとを追うように、自分はどうしたいのか、どうなりたいのかという緒花の自己問答から、本作がはじまっているというのはとても面白い。スイと皐月が必死に働き女手ひとつで子供を育ててきた、いわゆる「ぼんぼってきた」過程を、「輝きたい」という想いとともに緒花も追いかけようとするが、さらにもうひとつ「他人に期待する」という、前者ふたりがもてなかった素直な気持ちを、新しい軸として物語にとり込む。この気持ちの軸が、大人であるスイと皐月にさらなる変化を与えるとともに、四十万・松前家の親子関係や喜翠荘の面々の絆を、旅館を閉じたのちも変わらないものとして守りつづけるのである。

変わらないものがひとに変わることを求めたり、あるいは誰かが変わることによって変わらないものが守られたりする対偶関係が、このように本作では見事に貫かれている。世代を跨いだ親子関係と社会的な人間関係を併せて緻密に描いた作品は多々あるが、そのなかでも本作は稀に見る傑作と言ってよいだろう。

 

●付記

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娘にがんばりを認めてもらうようになったら親として終わりだとか、結婚とは、絶対にひとりにはならない、ひとりにはしないという約束だとか、言葉がいちいち心奥に刺さってくる。『TARI TARI』もそうだったけれど、『いろは』も間違いなく「親」の物語なのである。これを若い層が見るアニメに主題として埋めこむというのがとてもよい。そういう意味で本作はまさしく若いひとたちが見るべき作品であると思う。

すぐにはやりたいことが見つからず、もっと高いところに登ってからようやくやりたいことが見つかる子供もいる。間違った道で迷ってもいい。それが子供たちの特権なのだから。そう女将さんが言っていたように、たとえ紆余曲折があったとしても、最終的に自分の道をふり返ってみると、道は不思議と一本に繫がって見えるものである。そういう気づきを与えてくれる本作を、道に迷っているひとにこそ、強くおすすめしておきたいと思う。

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