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ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『半分の月がのぼる空』を読む(感想・レビュー) 続

文学(Literature) 文学(Literature)-日本文学 文学(Literature)-半分の月がのぼる空 感想・考察(レビュー) 感想・考察(レビュー)-半分の月がのぼる空

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文春文庫版には収録されていない、完結編とも言える挿話を収録した、電撃文庫版『半分の月がのぼる空 6』のレビュー。いろいろな局面で立ちどまっていたひとたちが、もう一度走りはじめるまでを追いかけた本巻も、相変わらずすばらしい仕上がりとなっている。一般的な青春ものと一線を画する理由は、本作が二世代にわたる物語であり、常に大人の視点があるからだと私は思っている。

 

●得るため(守るため)に捨てること

「たったひとつのもの。世界で一番大事な存在。僕はそれを手に入れた幸福とともに、いくつかのことを投げ捨てることにした」と裕一が述べたように、大事なものを得るにはなにかを手放さなければならない。口で言うのは簡単だが、これは経験したひとにしか実感としてわからないものであり、それを裕一が本当の意味で受けとめてゆく過程が、故郷を離れようとする友人たちとの対話を通じて語られる。

 だけど、山西の不安さえ、僕はうらやましかった。僕はそういう不安を抱くことはない。なぜなら、僕はずっとここで暮らしていくからだ。この狭い空を、見慣れた勢多川を、どんどんしょぼくなっていく駅前を、神宮の森を・・・・・・そんなものだけを見ながら生きていくのだ。

 僕は他のどこにも行けない。いや、行かない。東京よりも、人込みよりも、でっかいビルよりも、大切なものがここにあるからだ。

受けいれようとしながらも、完全には受けいれられず、また悔しさを感じる一方で、里香との幸せな日々に清々しさも感じている。そんな裕一の抱くあいまいな情意は、里香と過ごす日々を幸せだと思う漠とした所感を離れて、次第に具体的な形をとりはじめる。

捨てたもののほうが美しく見えて、自分が手にしたものがみすぼらしく見えるときがある。しかし誰かと一緒に改めて見つめなおしてみることで、みすぼらしいはずのものが、いきいきとみずみずしく見えてくることがある。

 その瞬間、見慣れた風景がまったく違うものに見えた。

 僕はここで生まれ、育ってきた。ありとあらゆる世古を、そのつながっている先を、全部知っている。どこになにがあるかなんて、いちいち考えなくても思い浮かべることができる。けれど今、僕の眼前にあるのは、よく知らない町だった。

東京ではなく故郷の伊勢を選んだことが大切なのではない。みすぼらしく見える伊勢でさえも見知らぬ町として立ちあがってくる、そんな物の見方ができる里香とともに在ることが、裕一にとってはなによりも大切なのである。里香といることで裕一は、自分の物の考え方が大きく変わる経験をするとともに、それは里香の眼を、心を通してしか経験できないことだと気づきはじめた。そんな経験が積み重なってゆく日々を“幸福”として捉えるように裕一は成長してゆくのである。

また、とても興味深いのは、こうした視座が吉崎多香子と綾子の関係にも、同じようにもちこまれたことである。

 綾子は絵に集中して、さらさらと鉛筆を走らせている。本当にうまい絵だ。きれいとか的確とかじゃなくて・・・・・・とにかくおもしろい。これがきっと才能というヤツなのだろう。今までみたいにクラスを仕切っていたら、きっと綾子の才能には気づかなかっただろうな。気づいても、笑い飛ばしていたはずだ。下らないって。

 でも、これは下らなくない。

 ちょっとすごい。

綾子に対する多香子の所感も、クラスで意気がっていた自分を捨ててはじめて見えてきたものである。こういった視座がいたるところで貫かれているのも本巻の魅力のひとつであった。

そしてやはり最後は夏目吾郎である。

「登りてえな」

 けっこうまじめな声だった。

「じゃあ、登ればいいじゃん。あんた、できるだろ」

「無理なんだよ、もう」

・・・・・・

 夏目の顔から表情が消える。言葉も短い。しかも平坦だ。なるほど、と思った。きっとこいつも自分の器が見えているのだろう。そして立場が。がむしゃらに動けるほどには若くなく、諦めてしまうほどには年老いていない。進む道も、引く道も見える。

珍しく逡巡する夏目に対して、伊勢に縛られた人生を送る亜希子の口から、「行きなよ、シカゴ。どこまで行けるかわかんないけど、行ける人間は行けばいいんだよ」と背中を押す言葉が投げかけられる。ひとは誰しも収まるべき場所に収まるものであり、身をもってそのことを理解している亜希子は、夏目が伊勢にいるべき人間でないことにも気がついていた。伊勢から出たくても出られないとくすぶる思いを抱えていた亜希子が、ここが自分の居場所だと受けとめ、先を目指せる他者の背中を押すひと幕は心に響く。

アメリカ行きを決意した夏目は、旅立つ前に、自分の人生をそのまま追いかけているような裕一に最後の助言を残そうとする。里香と裕一の人生を“延命”した責任は夏目にあり*、その結果裕一に訪れるであろうとり返しのつかない人生は、夏目自身がいま歩んでいる人生でもあるからだ。

里香に施した夏目の手術はうまくいき、彼女は退院することができた。しかしそれはあくまで一時的なものにすぎない。里香の心臓は五年はもつ、けれど十年はもたないだろう、と夏目は言い、「二十七とか八だ。それくらいから道を選び直せるようにしておけ。おまえの人生のために」と、里香がいなくなったあとの裕一の未来を案じる。

「よく聞いておけ。最長の十年までいったとしたら、おまえはそのとき二十八だ。なにかを一から始めるには遅すぎる。だが自分の人生を諦めるには早すぎる。中途半端もいいところだ。そこから、なにもかも失ったところから、おまえは生き直さなきゃいけなくなる。いいか、里香のいない世界を、おまえはたったひとりで生きていかなきゃならないんだ」

里香を失ったあとの裕一の人生は、同じように愛するひとを失った夏目自身が、いままさに生きている人生でもある。裕一が歩むはずの人生を、先輩として強く生き抜くために、もう一度走りだすことを決めた夏目はアメリカ行きを決意した。何年も長い時間をかけ、また里香や裕一との出逢いもあり、夏目はふたたび自分をとり戻す機会を得たのであった。子供を通して大人が自分と向きあい、その姿を見て子供が成長するという、互いに働きかけるさまを描いた美しい物語が『半月』なのである。

*手術成功後に夏目が、おまえにとっては最悪の結末だ、と裕一に告げたのは、里香を失ったあとに、もうとり返しのつかない人生をひとりで生きなければならないという、孤独な未来を(それは夏目自身がいま歩んでいる道程でもある)憂えたものであった。

 

●付記

付記なので個人的なことを書いてもいいと思うから書く。

私自身、まさに夏目の言った二十八歳になったおりに、自分の人生をもう一度選びなおさなくてはならない事態に陥った。そこで、裕一がしたように、私は大事にしてきたいくつかのものを守り、大切にしてきたいくつかのものを捨てた。それがよかったのかどうかはまだわからないし、きっと何十年もかけて、よかったのだ、と思えるように生きてゆくのだろうと思う。

『半月』が自分にとって特別な意味をもつのは、彼らの恋愛に心が動くからではなく、なにがあっても他者との関係のうちに自分を位置づけようとする、彼らの生き方に共振するからである。その意味で『半月』は自分にとって、恋愛小説ではなく、むしろ日常的な問題を丁寧に語りなおした物語として大きな意味をもつに至った。そして若いひとにこそ読んでほしいと強く思う作品でもある。

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