ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

ノベルゲームの精神病理を読む

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これまでプレイしてきたノベルゲームより、特に不連続な自己の問題に着眼した秀作を選定、紹介してみたい。読者の需要も影響してか、ノベルゲームでは自己の問題を深く堀りさげた物語が多く、自己と環境との軋轢が積極的に主題化されてきた。今回はサイトで紹介してきた作品のなかから複眼的に自己の問題を捉えた良作をいくつかとりあげてみようと思う。

 

●『遥かに仰ぎ、麗しの』梓乃√

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はじめにとても面白いと思ったのは、メランコリー親和型でひととうまく関係できない梓乃の変化のきっかけが、司に対する“憤り”であったこと。殿子を奪われてしまうという切迫した思いと、大事な殿子を奪おうとする司に対しての怒りが、彼女をはじめて主体的に動かす契機となったのである。

これまでの自分からは想像もつかない大きく変化した自己と向きあい、それを自分自身として受けいれることで、梓乃は自分と他者との関わりを新しく定義しなおしてゆく。その心の動きをもたらしたのがほかならぬ司だと自覚したとき、梓乃は彼と恋に落ちるのであった。過去・現在・未来の自己がきれいに併合されるさまにため息が出るすばらしい物語である。

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●『明日の君と逢うために』明日香√

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過去の自分との文字通りの自己同一性を問題とした本作。過去の自分について一切なにも憶えていないというのは定番の背景である。しかしながら本作では、他ルートも巻きこみながら、様々な観点から過去の自分と記憶を失った現在の自分との不連続性について議論し、否定も肯定も含めた見解を闘わせている点が興味深い。

いまを生きるために本当に大切かどうか、という視点から自分自身を捉えなおし、修司と生きるために過去の自己をとり戻すのではなく、現在の自己を大切にする選択をする。一線を“踏みこえる”ことで自身が負った代償を、明日香は覚悟をもってひき受けたのち、子供から大人へと成長する足掛かりとしてみせた。分裂した自己の主題を柔軟に展開した重要な一作だと言える。

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●『ソレヨリノ前奏詩』はるか√

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はるかルートで終が述べた「矛盾はきれいだ」という言葉はとても印象的である。どんな自分を演じることもできる賢い少女だからこそ、本当の自分を心の奥深くにしまい込み、長い年月の間誰にもさらさずに過ごしてきた。日常に支障をきたすことなくそれを貫いてしまえるのがまさにはるかの精神病理であったといえる。

R・D・レインのfalse-self systemで言うところの偽の自己が、これまで真の自己を大切に守ってきた現実に気づき、はじめて受けとめた他者がほかならぬ終であった。彼ははるか自身のもつ傲慢や欺瞞を強く糾弾しながらも、完璧に繕ったはるかではなく、それぞれの自己を併せもつ矛盾に満ちたはるかという存在そのものに、美しさを見出すのである。自己の連続性に疑義を抱く必要性を端から否定できる潔さがこのルートの魅力であったと思う。

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●『向日葵の教会と長い夏休み』

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一匹の黒猫が詠という少女の代わりに男の子と物語を紡ぎ続ける美しい怪奇譚である。代理体験、同一化と経て、自己を再定義する過程は、模倣が本物となり、本物を超えてゆくというポストモダン的主題をもたらす。

黒猫詠が少女詠の代替ではなく、ひとりの少女として自己確立できたのは、ともに物語を紡ぎ続けてきた葉介がいたからである。彼女は葉介とともに生き、彼のためにすべてを捧げ、彼を悲しませないために自身の生を使ってきた。しかしそれは翻って、自分がひとりの少女“詠”として生きるために、あるいは「黒猫-詠の代理-人間の黒猫詠」という不連続の自己の自同性を保持するために、必要な手続きだったのである。自己が常に他者との関係によって形作られることを改めて教えてくれる秀作である。

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●『CARNIVAL』

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私がノベルゲームにおける自己と精神病理の問題を考えるうえでひとつの足掛かりとした思い出深い作品である。記事のなかでも述べた通り、自己の主題を据えるにあたって、統合失調症をはじめとする精神疾患をひきあいにだすのはいまにはじまったことではない。それ自体はいまやありきたりな主題だけれども、世の中の正しさに救われず、世の中と相容れない価値によって自己を定める『CARNIVAL』の物語は私たちにとって他人ごとではない。

学と理紗の境涯を丁寧に追いかけながら、世の中の正しさがいかに弱者を虐げたうえに成りたっているのか、そんな非情な現実のさまが切々と語られる。幸福という幻影を心の底から信じて生きることができたならば、それが一番幸せである。しかしそれができなくても、誰かのためにその幻影を覚悟をもって受けいれ、空転する物語を生きつづける潔さが、学と理紗が摑みとった自己そのものなのであった。ゆがんだ価値のうえにしか自己存立の礎石を見つけられなかったひとたちの自己問答の物語である。

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●『紙の上の魔法使い』

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自己と環境の軋轢、他者との関係を主題とした物語のなかでは最高峰の一作。魔法の本の物語――ヴァイツゼッカーの言葉を借りて「環境世界」と言いかえてもよい――から存在論的干渉を受けながらも、同じように魔法の本へと働きかけ、運命をねじ曲げる瑠璃たちの力強い生き方がとても美しいと感じた。魔法の本によって定義された自己であっても、あるいは魔法の本によって複製された自己、すなわちレプリカであったとしても、いまここに在る自己の意義を問い続けて生きるさまが、主体性への疑義を通じて次々と語られてゆく。

自分自身の気持ちのうち、どれが魔法の本によって与えられたものなのかがたとえわからなくなってしまっても、それらすべてを“自己”として括り、不連続の連続こそが自分自身だと捉える実践が『紙まほ』では描かれる。自己の自同性の問題は精神病理学において常に中心となる主題である。めまぐるしく変化する環境のうえで生きざるをえない現代において、環境世界と絶えず関係を結びなおしつつ、そのたびに新しい自己を獲得せんとする積極的な姿勢が、本作の肝要であったと言えよう。ヴァイツゼッカーが言うところの自己と環境世界の「からみあい」を注視し、新たな視点から私たちの日常を照射した物語が、『紙まほ』という物語なのである。

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●付記

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一身上の都合により、これまで書き散らかしてきた自己の主題についての論を、ラフにまとめておきたい衝動に駆られて書くことにした。こうした主題の有無をおぼろげに思い浮かべながら、次はどの作品を買おうかと日々思いをめぐらせている。

しかしこうしてふり返ってみると、『紙の上の魔法使い』はやはり圧倒的であった。現在『水葬銀貨のイストリア』の記事を執筆中であり、ウグイスカグラ前二作の主題をよい意味で受継いだ、文学的悲劇の深淵に眼がくらんでいる最中である。今後もやるせない現実を突きつけてくる物語に期待するばかりだ。

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