ワザリング・ハイツ -annex-

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『アマツツミ』を読む(感想・レビュー)

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日本のお家芸異類婚姻譚の類型・亜種とも言える物語。『明日の君と逢うために』も然り、Purpleは“踏みこえる”という主題が好きなのだろうか。ライターはちがうようだが、踏みこえていった明日香と、踏みこえてきた誠や愛には、共有される問題がありなかなか興味深いと感じた。なにより“言葉”についての深い洞察があったため、何度もうなずきながら読み進めることができた一作である。

さらに鈴香やほたるの自己の問題は、明日香の自己の問題と深く響きあうところが多く、『明日君』の主題を“言葉”を軸に新たな角度から照射した物語が本作『アマツツミ』であると言えよう。誰がなんと言おうと私にとってこれは名作である。

sengchang.hatenadiary.com

 

●言葉についての物語

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誠の心に宿った「行きなさい」という言葉が、里を出なさいという意味ではなく「生きなさい」という意味であったことに気づくくだりがある。「行く」ことが「生きる」ことであるというこの前提は、序盤の物語であるこころルートで提示され、続く各ルートの物語に次々と渡されてゆくのである。『アマツツミ』には、万葉集の時代から日本語文化に根づいている、音によって字義に遊ぶユーモアがふんだんに込められており、読者の想像力が四方から刺激されるつくりとなっている。そういった言葉遊びは特に若者が使う時流の言葉において生じることが多く、誠は漫画によって言語の“ゆれ”を体得してゆく。漫画は変化する時流を捉えるには恰好の素材であり、日本語特有の言葉遊びに誠は次第になじみはじめる。

誠がコミュニケーションに憧れるところからもわかるように、「言霊」はある意味で、コミュニケーションの機能を損なってしまう能力であった。相手の情意を無効化してしまう能力というのはそもそも他者との意思疎通を不必要なものとする。相手に命令通りのことをさせるという力もまた、コミュニケーション不全をひき起こすに十分な“欠陥”であると言える。互いに対して働きかける開かれた関係としてのコミュニケーションの意義を、新たな角度からもう一度眺めなおし、その本質を問いなおす試みがここにはあると言えるだろう。

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言霊を使い、言葉を文字通りの意味としてのみ受けいれてきた誠は、いわゆる“言葉のあや”を理解することに苦しむ。たとえば私たちが普段から使う比喩表現や言葉運びに彼はまったくなじみがない。使用される土地や時代、年齢層といったものを通じて変形された言語が、人々に慣習的な言語体系として根づき、養われてゆくという、言語の習得体験を誠が追随しているところが面白い。コミュニケーションというものがそういった複雑にねじれた言葉のからみあいでできている事実を本作は再確認させてくれる。その一方で、たとえば常に言葉の裏を読んで臆病になってしまう響子にしてみれば、言葉とその示すものとが確実に一致している、裏表のない誠の言葉がとても魅力的に映る。これを彼女が「素直」と呼ぶのは、実際的な意味だけでなく、言語の運用に関しても当を得たものだと言えるだろう。

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言霊と言挙げは同じだ、とあるとき響子は誠に言う。どちらも意志によって望むことを叶えるものであり、そのひとの心を表すものでもある。だからこそ誠は、言霊があってもなお、自分の言葉が無力だと感じる場面に幾度となく出遭うのであった。感情のうすい誠でも、このまま外の世界で暮らしていけば、誰かに「死ね」と思うようになるときがやってくるだろう、と言霊のおそろしさをほたるが諭す場面はとても印象的である。言霊の力を誰かのために使うこと。物語のはじめにほたると誠がした約束は、言葉に自分の命を込めて他者と関係するという、覚悟の物語のうちで着実に果たされてゆく。

言霊を込めるということは命を込めることであり、相手の命と自分の命が混ざることだと愛は言う。本当にその通りである。“言葉”というのは自分の魂を相手に命懸けで伝えるための手段ではないか。この言葉-命という主題は、こころの物語は言うまでもなく、続く響子、愛、そして特にほたるの物語において精妙を極めた。

 

●天津罪

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「誰かが必死に生きようとする、その意志や願いを奪うことは、神が全能であろうとも、罪」であるとする。本作で天津罪とは神の罪を指すものであり(元々は人間から見た神に対する罪であり、農耕を妨害して神祭りを冒瀆する罪、と解するようである)、これがほたる救済の方法に大きな影響を及ぼした。エンド1は天津罪を“犯した”終幕であり、エンド2は天津罪を“犯さずに”ほたるを救済する結末である。

ほたるは自分のことを「ほたる」と呼び、常に自分の存在が唯一であることを自身にすりこもうとしている。その一方で「わたし」という一人称を使い、すべてのほたるが同じように抱く、変わらない思いを言葉にすることもある。ほたるの自己が陥った“ゆれ”は、各々の自己を区別するよう当人を促すものでありながら、すべてのほたるが共有する本質的な自己像を捉える契機を彼女に与える。痛みだけは他者にはゆずらない、それが唯一自分に生を実感させてくれるものだから、というオリジナルのほたるの言葉も、不安定な存在をなんとか形あるものとして捉えるために、実存的な根拠を保持しようとする思いから生まれたものであった。

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誠から新しい姓を授かったコピーのほたるが、ほかのほたるたちとはちがう自分だけの“名前”を手にすると、言霊の影響を受けるようになった、という場面は興味深い。名前は自分自身を明らかにするものであり、自分が自分であることを証明するものであるから、彼女はほかのほたるたちとは異なる名前を得ることにより自己同一性を獲得できた。ここで誠やほたるの言う「魂」とは、唯一無二の自己を保障する実存的根拠、すなわち自己同一性のことである。魂を宿したコピーのほたるは、この世にたったひとりしかいない唯一無二のほたるとなり、オリジナルとの区別の問題が無効化されるのであった。

オリジナルは自分がコピーにとっての神だと主張しており、その意志を利用する形で誠は、「神なら彼女のために死ぬべきだ」と、天津罪を逆説的にオリジナルに突きつけてみせる。コピー(人間)が生きようとするその道をオリジナル(神)は阻んではならない、だからこそ誠の言霊はオリジナルを説き伏せることに成功する。しかしこの計略では、誠自身(神)がオリジナルのほたる(人間)のもつ生への意志を阻んでおり、天津罪を犯したことになるがゆえ、彼自身も命を落とさざるをえないのであった(エンド1)。

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これに対しエンド2では、健康なほたるに“すべてのほたる”を収束させることで、不連続の自己を統合された自己へと導く策を講じる。オリジナルとコピーの区別が無効化される点は同じであるものの、どちらがオリジナルというわけではない、ふたつに別れてしまったほたるをひとつに束ねて“元に戻す”と誠は主張し、断絶したほたるの自己をまとめあげようとするのである。

その大掛かりな言霊の仕事を成しとげるため、誠は自分の言霊の力を捨てる代わりにほたるに命を吹きこむ。すなわち“言葉”とひきかえに“命”を授かるという、眼がくらむような美しい答えがここで提示されるのである。死への恐怖と絶望によって解体されてしまった自己を、他者の言葉が“命”となって、ひとつにまとめあげる物語。言葉には命と同じだけの重みがあり、傷を癒やしたり、心のありかを探りあてたり、誰かの命を救ったりする力が隠されている。愛が述べたように、言霊=言葉を使うというのは、自分の命を相手の命に混ぜる行為なのである。

 

●付記およびその他の主題

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生きているひとたちが自分たちのために死者を弔う。響子ルートで提示された考えが愛ルートの肝心な場面で十二分に生きてきた。誠と愛の共有していた希の思い出が、幻の希をつくりだし、最後の最後で愛の命を救う。ほかにも、灯籠流しのくだりがほたるルートに効いてきたりと、ほたるに続く物語であった個々の挿話が、きちんと諸々の物語に撥ね返ってくるという、美しい響きあいにも驚いた本作である。

また誠が“知る喜び”を探求するプロセスは『フランケンシュタイン』における怪物の知の形成を彷彿とさせるものであった。当時の重要な書物三冊を通じて怪物は、言語や道徳、社会文化を間接的に学びながら、本作の誠と同じような知的訓練の手続きを踏む。さらにはヴィクター・フランケンシュタインが、新たな命を創りだした瞬間からそれを怪物と形容して憎みはじめたように、オリジナルのほたるもまたコピーのほたるが生まれるたびに彼女を憎み蔑んだ。このあたりの符合についてはいつかなにか書くかもしれない。倫理観や善悪についての価値形成の過程についても『フランケン』と同じく『アマツツミ』では丁寧に描かれていたように思う。

「“約束”は、ほたるたち普通の人も使える“言霊”なんだよ」という科白や「答えを知るために歩いた場所が、やがて道となるのだ」といった言葉も然り、名言集をつくりたいほど、久々に心に響く言葉が数多く出てきた作品であった。自分の命を懸けて言葉を使うという、真に迫る言葉の価値を物語に託した本作は、私にとって、涙なしには読めない特別な物語のひとつとなった。言葉とともに生きる者の覚悟を感じる名作である。

⇒『アマツツミ』を読む 響子ルート(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『アマツツミ』: CG Commentary - ワザリング・ハイツ -annex-

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