ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『Light, Grass, and Letter in April』を読む

f:id:SengChang:20170616210831j:plain

 数年前に一度Inger Christensenのalphabetを記事としてとりあげたことがある。残念ながら彼女の作品は邦訳版が出版されておらず、私も英語版でしか読めていないのが現状である。しかしながら、Susanna Nied訳のalphabetはアメリカで翻訳賞を受賞しており、非常にすぐれた定訳として信頼をもって読めるというのは、不幸中の幸いといったところか。

sengchang.hatenadiary.com

sengchang.hatenadiary.com

この記事ではLight, Grass, and Letter in Aprilのうち二篇の詩をとりあげ、徒然なるコメントを付しておきたい。数学をとり入れた技巧的意匠を凝らすことの多いChristensenだが、以下の二篇に関してはわりあい詩らしい詩という印象を受けた。

If I stand

alone in the snow

it is clear that I am a clock

 

how else would eternity

find its way around

“Light”と題されたこの短い詩は、相対的な視座の重要性を説いた詩でもある。私が時計でなければ永遠が存在しないというのは、つまるところ、時間さえもが他者なしには存在しえないことの証でもある。自分を常に他者との関係のうちに捉える姿勢は決して当たり前のものではない。むしろそれがうまくいかないからこそ生まれる物語も多く、自己を注視するだけでは自己同一性は獲得しえないのである。その点についてはR.D.Laingブランケンブルクヴァイツゼッカー木村敏が各々述べている通りであり、これまで本サイトでくり返し扱ってきた主題でもあった。他者との関係はゆがんだものであってもかまわない。むしろ大切なのは、ゆがんだ価値が自分を豊かに位置づけてくれるかどうかを見極め、覚悟をもってそれを受けいれようとすることである。この点を鋭く捉えるのが、作家および読者の、物語を通じての大きな仕事であると言えるだろう。

次に引用するのはChristensenの“Itinerary”という詩のほぼ全文である。

Everywhere a memory’s last power:

where were we last year, now?

earth covers your brow?

you drowned…but here

we can rest, my dear

portion out time carefully

eat, sleep, see the sights…by-and-by

good old Europe! Perhaps!

but don’t you forget the maps!

where did we go last summer?

tiny straw floats away.

本書のIntroductionでも書かれているのだが、この詩が書かれた当時、デンマークを含む北欧諸国は政治的動乱の最中にあり、その背景を踏まえたうえで“…don’t you forget the maps! / where did we go last summer?”という問いかけの意義を検めるべきなのは明らかである。一年前のヨーロッパと一年後のヨーロッパは決して同じではない。国境さえも変化し、以前訪れた場所が今年は別の国になっているかもしれないと、深刻な事態についてユーモアを交えて言及したのが当該の箇所なのであろう。私たち日本人にはこの感覚は永遠にわからないけれど、現在が過去によって、あるいは過去が現在によって再定義される事態には私たちも親しい。このあたりはシンボルスカやエミリー・ブロンテの詩との響きあいを感じるところでもある。

sengchang.hatenadiary.com