ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『AIR』を読む 前夜(感想・レビュー)

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予想をはるかに上回るほどの日本的な物語であった。こういうものを読むと、私たちは日本人として同じ固有の特質を共有しているのだなあと強く感じる。日本人が背負ってきた“家”という宿命や、村社会における排他的な差別思想、関係の病など、私たちが“臆”で共振する諸々の問題がちりばめられた作品であった。

私は『AIR』に対しとても前向きな印象をもったし、物語の結びについても好意的に受けとめており、二本の記事を通じてそれをできるだけ言葉にしていきたい。前夜では、先に挙げた問題を中心にとりあげ、他者と関係することに注視した本作の物語を紐解いてみようと思う。

 

●“家”という運命の表象

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擬似家族を描く筆に定評のあるKeyであるが、『AIR』でもやはり純粋な家族ではなく擬似家族に着眼し、日本独特の家の伝統を一風変わった語り口で表現してみせた。本質的には、あの『神樹の館』と主題を分かつような、家の歴史を神格に据える全体性についての物語である。先祖の擬似家族関係が、彼らの血をひく往人――そして神奈に選ばれた観鈴――の擬似家族関係に等しく、家の全体性がそのまま個人の本質と同一視される。『神樹の館』の記事でも述べたように、日本の伝統的価値観においては、家族の構成員はみな区別なく「うち」であり、同じ精神を司る者として同一視されうる。

最も日常的な現象として、日本人は「家」を「うち」として把捉している。家の外の世間が「そと」である。そうしてその「うち」においては“個人の区別は消滅する”。妻にとって夫は「うち」「うちの人」「宅」であり、夫にとって妻は「家内」である。家族もまた「うちの者」であって、外の者との区別は顕著であるが内部の区別は無視せられる。すなわち「うち」としてはまさに「距てなき間柄」としての家族の全体性が把捉せられ、それが「そと」なる世間と距てられるのである。(和辻哲郎『風土』第三章)*二重括弧内は原点では傍点。

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精神共同体であるがゆえに、家族のうちで個は滅却され、家の全体性に帰するのである。それゆえ本作でも“家=運命”は個人の力では覆すことのできない表象として貫かれる。個人の意志は家の意志であり、あくまで家の伝統のうちにとり込まれてしまっており、末裔たちですらその意志にならわざるをえないのである。観鈴の言う「もうひとりの自分」とは神奈のことであるが、観鈴自身は翼人の歴史と関係をもたないにも関わらず、翼人母娘の呪いが表す家の歴史の一部として宿命を背負わされてしまった*。だからこそ他者が近づくと、観鈴の「うち」の全体性に彼らは絡みとられてしまい、いつかは観鈴とともに死んでしまうかもしれないのだという。他者と距離を置くこと――和辻哲郎の言うように「うち」と「そと」を截然と区別すること――により、観鈴やほかの者たちの“個”が守られるという、日本の家族の矛盾点を『AIR』は的確に突いてくる。呪いから神奈を解き放つため、裏葉は柳也に「子をなすこと」を提案したわけだが、個を家の呪縛から解放するためのこの策が、むしろ末代まで個を家の呪いに縛りつづける矛盾を生んでしまったのである。*観鈴自身は八百比丘尼や神奈と血の繋がりはないようであるが、意志を受けつぐ者として選ばれたがゆえに、彼女たちの“家族の一員”として「うち」にとり込まれてしまったと言える。

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この物語は、結論から見れば、古来の伝統的な家族から近代的な家族への変位を描いた物語である、と言うべきかもしれない。家の構成員である個が家の仕組みを解体し、家の思想を負わない自立した個人として、他者と新しい家族関係をもう一度結びなおす物語である。だからこそ往人の願いは、「空にいる女の子を救う」ことから、「観鈴を救う」ことにいつの間にかすりかわっている。神奈を救う柳也と裏葉の物語という家の伝承の目的を離れ、観鈴を救う往人自身の物語へと変化してゆく。さらに「AIR」篇においては、春子と観鈴が他者から「うち」へと関係を結びなおす過程で、受けつがれてきた“家”の物語からふたりは自由になってゆく。なぜなら「AIR」篇で描かれるのは、観鈴を呪いから解放する物語ではなく、春子と観鈴が家族になる物語だからである。

往人も春子も、そして観鈴も、家が負った呪いの伝承と関係のない、自らの意志による家族関係を結ぶことで、家の全体性に埋没することのない自己同一性を獲得している。家に縛られる没個性としての個人ではなく、家の呪縛から解き放たれた自己を獲得するにいたる過程が、『AIR』の核心であったと言うべきであろう。すなわち、没個人を前提とする家の全体性に帰する血縁としての家族から、家の呪詛から自由になった自立した自己の拠りどころとしての家族へ、「家族」の表象が全篇を通じて大きく変質しているのである。

 

●関係妄想による過去の改竄

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本サイトでも関係妄想の話はたびたびとりあげてきた。いまや記憶喪失はサブカル作品の便利な設定と化しているが、関係妄想は記憶喪失とはまったく異なる問題を孕む、より現実的な精神病理であると言えるだろう。美凪ルートで彼女の母に顕現する症状は、いわゆる「家族否認症候群」に相当するものであった。これは「自己の出生、家族、生い立ち、結婚、夫婦関係などの来歴を妄想的に改変することによって、自己の現在の意味を変更しようとする機制」に基づいた病理であり、家族と自分の間に生まれた問題を解決するため、家族との関係を改竄し、問題そのものをなかったことにしてしまうという特徴をもつ(木村敏『自覚の精神病理』第二章)。美凪の母は、美凪をみちると思いこむことで、みちるの死を自分のなかだけで解決してしまうのである。

読んでいて身を切るような思いになったのは、美凪によって語られる、母が関係妄想に陥った過程についてのくだりである。みちるを流産した母は、現実を受けいれられずに長らく苦しむが、あるとき彼女にその現実を受けいれる契機が訪れる――みちるの夢を見たのである。「その夢の中で・・・母はみちるの死を受け入れ」「夢を見ることで現実に目覚めた」のち、みちるが死んだ現実を関係妄想によって夢化してしまったのだという。つまりは、美凪=みちるである妄想を真実とし、みちるが死んでしまった現実を否認して生きる選択をしたのである。母が美凪をみちると思いこむようになってしまったことで、美凪は「美凪」という自分の名前と彼女の存在の基盤である家庭を失ってしまった。

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美凪ルートで感心したのは、母が虚構の生活に囚われ続ける一方で、美凪もまたみちると虚構の生活を送り続けているところである。無論、彼女はみちるがimaginary friendであると気づいており、しかしみちるを彼女にとっての現実として受けいれている。美凪が母の関係妄想について理解を示すのはそれが理由でもあった。「ニンゲンはね・・・思い出がないと生きていけないんだよ」というみちるの言葉通り、美凪はみちると時を過ごすなかでたくさんの思い出をつくり、それを糧にいまを生きようと決意するのである。そのとき美凪と母を救うのは、父と母と美凪の三人で過ごした家族の思い出であり、みちるとの虚構の日々が生んだ思い出と相俟って、夢と現実がかけ合わされた生きる力をとり戻してゆく。

AIR』ではすべてのルートで夢についてふれているが、夢があくまで夢として機能し、現実の支柱となる美凪の物語に対し、本筋である観鈴ルートでは、夢が現実を内側から喰い破る「過酷な」物語が提示された。フィクションと現実の関係についてはさらに複眼的な視点から見てゆく必要がありそうである。この点については後夜で少し書き足してみたいと思う。

 

●前夜の付記

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私のたった一度しかない夏が終わってしまった。実際に、ふれないまま終わる気もしていたのだけれど、ニコ動でランキング動画を見ていてふと思い立ったが吉日、三日ほどであっという間に完走してしまった。

シンプルな構成にも関わらず、これほどまでに複雑な主題を幾重にも折りかさねて展開できる技量には感服せざるをえない。やたら設定を盛ったり、明らかにプロットのためにキャラクターを配備したような、人間を描かない二流の作品とは一線を画する。『AIR』がなぜ語りつがれているのか――名作と呼ばれる作品にはそれなりの強度と趣があるのはいまさらくり返すまでもあるまい。最後までプレイしてみればわかる。私も今回プレイしてみて実感として理解できた気がする。こういう作品はそう多くはない。大事にすべきだと思うし、もっといろんな角度から分析し、語りつぐべき作品だと思う。

ちなみに私がプレイしたのはiOSの全年齢対応版である。フルボイスながらたった1000円で手に入るので、夏のこの時期にぜひ手にとってほしいと強くすすめておく。

⇒『AIR』を読む 後夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『AIR』を読む 補遺(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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