ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『ファタモルガーナの館』を読む 前夜(感想・レビュー)

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しかしよくぞこんな話を思いついたものである。非常に文学性の高い作品ながらも、ヴィジュアル・サウンド・ノベルの特性を余すことなく活用した、魂の傑作と言わざるをえない。さすがに参った。これはすごい。ポップ・カルチャーの表現媒体をここまでハイ・カルチャーに近づけた作品は稀であろう。総合芸術と言いたくなるようなすばらしい完成度である。モルガーナの過去を軸に、ミシェルとジゼルの主旋律を太い幹として、周囲を囲う三本の挿話がすべてきれいに結びついており、それぞれの人物の“魂”のありさまが切々と語りだされるのである。

ひとつひとつの扉の挿話が独立した価値をもつが、すべてに光を当てるわけにもいかないので、ここでは「マルチ・ナラティヴ」「自己同一性」「ゴシック・ロマンス」「宗教」という四点に絞り、作品の肝要をまとめてみたい。前夜の記事ではまず前者二点について詳述する。

 

●真実をあばくマルチ・ナラティヴ(Multi-narrative)

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『ファタモルガーナの館』の大きな特徴のひとつは、複数の物語を束ねた複相的な語りの構造にあった。プレイヤーと同一視されるミシェルに「あなた」と呼びかけながら、女中役のジゼルが次々と屋敷の物語を語りつぐ。しかし後半に近づくにつれて語り手の信憑性が疑われ(an unreliable narrator*)、さらにはミシェルやモルガーナ、そのほかの男たちに語りの役割が任されたりと、舞台や時間軸だけでなく、視点も複雑に入乱れた語りの手法を用いている。*「信頼できない語り手(an unreliable narrator)」についてはデイヴィッド・ロッジ(David Lodge)の『小説の技巧』(The Art of Fiction)などに詳しい説明があるので参照されたい。

こうした語りの効果について最初に言及されるのは、二番目の扉の結末が語られたあとである。ユキマサの視点から見ると、獣になった男が盲の女と人間らしさをとり戻す物語である一方、ポーリーンの視点から見ると、気がふれた恋人に惨殺されるいわゆる悲劇でしかない。ひとたび視点を変えることで、眼前の現実が別の意味を帯びるという、認識についての深い洞察がここでは示されている。そして驚くべきことに、この視点の変位と真実の転換は、物語の最後の最後まで幾度もくり返されるのである。

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視点によって眼の前の現実が転覆する体験は、夢野久作の「死後の恋」や「瓶詰地獄」芥川龍之介の「藪の中」、あるいは瀬戸口廉也の『CARNIVAL』でも描かれたものであった。『ファタモル』のなかでは、ミシェルが過去に溯ってモルガーナの死の背景をあばこうと策を弄する挿話も然り、なにか別の楔を打って直接過去を変えるのではなく、真実を別の角度から見るという認知構造の変化によって、他者の心を大きく変える試みが随所に見られる。過去のトラウマを解決して新たな関係を構築する、ノベルゲーム定番の関係構築の手続きを、巧みに敷衍した物語として非常に興味深いと感じた。

認知構造の変化がもたらす大きな影響について最も顕著だと言えるのは、やはり聖女の血の一件であろう。信仰にまつわる呪いや奇蹟はあくまで心のありさまに左右される“思いこみ”でしかなく、どちらもひとが作為的につくりだしたものにすぎない、とモルガーナは語る。彼女の血を口にすることで病状が快復する奇蹟が、それまでいたるところでくり返されたにもかかわらず、それが不純な魔女の血だと流布されるやいなや、途端に町中の人間が疫病に陥り命を落とす一件は、まさに真に迫った逸話であろう。私たちの見ているものがいかに自身の先入観によってゆがめられているのか、あるいはそれが迷信と手を結び、いかにして信仰を形作ってきたのかが――現在にいたるまでの信教の普及を見ればわかるように、それは時にひとの心を救うこともあるわけだが――かの挿話にはよく現れていると言えるのではないか。

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物語を追う読者だけでなく、ここが驚くべきところであるが、最終的にはすべての作中人物の認知構造が変化する。マルチ・ナラティヴ自体はノベルゲームの世界では別段珍しくもないが、主要人物すべての心のありさまが翻ることで、物語が姿を変えて別の真実が顔を出し、個々の人間の“魂”が救済されるにいたる。語りの妙を最大限に活用した、文字通り魂の作品であると言わざるをえない。

 

●自己同一性

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前述の多角的視座の影響が人物の自己同一性の問題にまで喰込んでくる。性同一性や役割同一性の主題を注視し、すべての作中人物が他者によってゆがめられた自己像に頭を悩ませるなど、『水葬銀貨のイストリア』を思いださせるところも多かった。ミシェルとジゼル、そしてモルガーナの物語は大局的に見て、人間としての自分をとり戻す物語であると言ってよい。

自己は常に他者との関係によって築かれるものである。周囲によって魔女に仕立てられてしまったミシェルと、性的暴力によって傷物にされてしまったジゼルは、周囲が聞く耳をもたないために、周囲から見た自己像と自身の抱く自己像との間でひき裂かれ、自己同一性をうまく保持できなくなってしまった。しかも死後の彼らは記憶を失っている――ジゼルにいたっては、数百年の記憶の蓄積が理由で、ミシェルとの日々の記憶が風化してしまい、当初の記憶がほとんど残っていないのだという。何百年もの時が経ち、以前の記憶をわずかしかもっていない自分は、その当時の自分と同じと言えるのか、というのがジゼルのもうひとつの自己同一性の問題となった*。こうした問題をのりこえて自己の再構築にいたる過程が、ミシェルとジゼルの物語の核であったと言ってよい。*記憶と自己の関係は『最果てのイマ』でも主題化されたものであったため、ここでは深くは立入らない。

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“普通の人間に戻る”物語は、モルガーナの過去篇においても同じようにくり返される。彼女の物語は、モルガーナというひとりの少女が周囲によって聖女や魔女に仕立てあげられ、長い年月を経てふたたび人間に戻る物語であった。モルガーナは聖女という役割をあてがわれ、それに準じる生き方で自己を確立してゆく。それゆえ、母親から捨てられ、過酷な日々を生きる身になったのちも、聖女としての自分の誇りを自己存立の基盤とした。そしてまさにその誇りこそが、皮肉なことに、モルガーナが身を滅ぼす要因となったのである。モルガーナの態度はまさに、現代において役割同一性の定義となっている以下のような態度に当てはまるものであった――すなわち、「私にとって特定の立場にいる他者から、私がかくかくしかじかの役割行動をはたすことを期待され、私がその期待にこたえて遂行する役割行動に応じて当の他者から認知されることによって、はじめて成立するような自己のありかた」であり、「独特の仕方で秩序の中に“はまり込んで”しまっていて、そこから“抜け出せない”という、特別な形の几帳面さ」にモルガーナは陥っていたのである(木村敏『時間と自己』*二重括弧内は原典では傍点)。

聖女という枷に囚われ、人間としての憎しみと愛の狭間でひき裂かれたモルガーナは、自らの聖女の部分を切りはなすことで、憎しみを象徴する魔女と化した。そんな彼女がふたたび人間に戻るというのは、憎しみも愛情も等しくもった“普通の人間”に戻るということなのである。だからこそモルガーナは、最後まで三人の男たちを憎んだまま、彼らの魂を解放してゆく。

性同一性、役割同一性、自己分裂、あるいは代理体験と、自己をめぐる諸々の問題が余すことなく散りばめられており、ひとの魂をしかと見つめた奥深い物語となっている。これまでノベルゲームが積極的に扱ってきた自己の主題については『ファタモル』を読むとほぼすべてまとめられると言えるかもしれない。

 

●付記

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『SWANSONG』を思いだすような凄惨で救いがたい描写も然り、もう二度と読みたくない傑作である。休みやすみ読み進めたらきっと最後までプレイできなかったであろうと思う。相当に苦しかった。超越的な力がひとの心に深く働かない、あるいは働かなくなりつつある現代において、人間の本性をあばく最も凶悪な外部の力はおそらく性と暴力、ないし災厄であろう。『SWANSONG』同様、やはり本作もそれを強く感じさせる物語であった。

横溢する色とりどりの主題は、ここではとても扱いきれないほど多岐にわたり、また興味深いものであった。どこまでも文学的な物語である。後夜で紹介するように、西洋の館ものは主に「ゴシック・ロマンス」と呼ばれ、『ファタモル』はその雰囲気を継いだロマン派的な物語である。描写の力強さはS・T・コウルリッジのようであり、込められた主張はウィリアム・ブレイクのようであった。わかるひとはわかる、と思う。

⇒『ファタモルガーナの館』を読む 後夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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