ワザリング・ハイツ -annex-

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『ファタモルガーナの館』を読む 後夜(感想・レビュー)

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ファタモルガーナ(Fata Morgana)はイタリア語で「蜃気楼」や「幻影」という意味らしく、また「ファタ」には “妖精”といった意味があるのだという。この形容詞がモルガーナにつけられている皮肉は、物語を読んだあとでは、ただの気の利いた皮肉として見過ごせるものではない。イギリス文学での妖精は、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』のように、人間を“踏みこえさせる”役割をもつものであるが、本作では妖精自身が人間の心と身体をもち、人間と同じように苦悩して生きるのである。これは聖なるものを人間として描いてきた日本の民話の伝統を思い起こさせるものでもある。

以上のような点はあくまでほんの一例に過ぎない。本作におけるイギリス文学作品との響きあいは驚くべきものであり、ライターはおそらくイギリス文学に広く精通しているのだと思うが、思わせぶりなエピグラフなどをいっさい出すことなく、しかしそれを明瞭に感じさせる語りは見事だと感じた。そういった点を踏まえたうえで、後夜では「ゴシック・ロマンス」と「宗教」に光を当て、『ファタモル』二本目のレビューとしたい。

 

●Gothic Romance

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文学諸作品との響きあいを感じる奥深さのある本作だが、特にイギリス文学からの影響は色濃く作品に現れている。本作の一番の特徴はやはり、18世紀に台頭してきたゴシック・ロマンスを感じさせる中世の館ものであることだろう。Oxford Dictionary of Literary Terms.の“Gothic novel (Gothic romance)”の項目をひくと、イギリスのゴシック・ロマンスの作家にふれた、次のような説明がある。

She[Ann Radcliffe] was careful to explain away the apparently supernatural occurrences in her stories, but other writers…made free use of ghosts and demons along with scenes of cruelty and horror. The fashion of such works…contributed to the new emotional climate of Romanticism. In an extended sense, many novels that do not have a medievalized setting, but which share a comparably sinister, grotesque, or claustrophobic atmosphere, have been classed as Gothic….

ゴシック・ロマンスは上記のように、中世を感じさせる古い館のなかで迷信的、超自然的な出来事が起こったり、あるいは幽霊や悪魔が出てきたりといった特徴があり、ロマン派文学の支流としても位置づけられている(ロマン派の詩人S・T・コウルリッジの「古老の舟乗り(The Rime of the Ancient Mariner)」などと主題を分かつところがあるのは明白である)。そのため、のちの19世紀に出てくるメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』エミリー・ブロンテの『嵐が丘』といった小説もまた、ゴシック・ロマンス/ロマン派作品の伝統のなかで解される作品となった。

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『ファタモル』は女中の語る物語内物語であり、「信頼できない語り手(an unreliable narrator)」が出てくることから、文学に親しいひとであれば先述の『嵐が丘』をまず思い浮かべることであろう。さらにひとつめの扉において、歴史ある屋敷に住む高貴な一族の話が展開され、その一族が別の国から来たみすぼらしい人間によって破滅してゆくところなどは、まさに『嵐が丘』のアーンショー家とリントン家の歴史を想起させる*。ふたつめの扉では、醜い外見をした――ということになっている――男が、盲の女だけに「人間」であることを認められる挿話が出てくるが、これは『フランケンシュタイン』における怪物と盲の老人の交流を思い起こさせるものであった。また、当時は今以上に、ひととちがうことが悪とされた時代であり、特異な外見や言動は“狂人”のそれとして迫害の対象とされ、世間の眼から意図的に隠されたことは言うまでもない――魔女として幽閉されたモルガーナやミシェルの境遇は、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』で屋根裏に幽閉された狂女バーサとよく似ており、精神病に陥ったひとや身体に障害を抱えたひとが「呪われた」存在であり、一家の「恥」であるとされ、世間の眼から遠ざけられた、悲しい時代の現実を思いださせるものでもある。*極めつけは両作品にネリーという人物が共通して出てくるところだろうか。『嵐が丘』では女中ネリーが語り手として重要な役割を果たす。

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ほかにも、口づけて死んだあとにジゼルだけが生き残る場面はウィリアム・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』そのものであったし、「あなた」という二人称を語りの人称として用いるのは、ヌーヴォー・ロマンの作家ミシェル・ビュトールの『心変わり』を意識させた。そして本作で大きな役割を果たした、内的独白として記憶を語る「意識の流れ(Stream of Consciousness)」の手法は、ヴァージニア・ウルフジェイムズ・ジョイスといったモダニストたちが好んで用いたように、回想小説(retrospective novels)に技巧的な意匠を凝らした語りの手法である。『水葬銀貨のイストリア』も然り、文学の様々な特徴が自然に作中で融和し、表現の色合いが豊かなものになったひとつの好例として、『ファタモル』の文学性は一考を要するものではないだろうか。

 

●補遺――宗教について

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批判、というのとは少しちがうのだが、唯一気にかかったのが、時代背景のない宗教のとり扱いについてである。この点をどう評価すべきかはかなり難しい問題だと感じた。当然のことながら本作は、日本を舞台に西洋の宗教が果たす役割を問うた物語ではなく、また西洋を舞台にした西洋人の書いた物語でもない。西洋の宗教的価値を、その成立過程を抜きにして、寓意的に表す意味がいったいどこにあるのか。物語の装置として宗教を用いたに過ぎないのだとしても、あまりに色濃く強い問題意識を喚起するものであるため、こちらとしてもどうとり扱ったものか、判断に苦しむ*。*仏教に影響された日本の宗教観については『SWANSONG』で丁寧に扱われている。しかし本作は、日本人が西洋の宗教的物語を模倣した、歴史性を欠く寓意的物語であり、そのような形で宗教を描く意義を私自身うまく見出すことができずにいる。

この物語に決定的に欠けているものは、扱われている宗教の時代性である。ある国やその国をとり巻く他国の情勢、民族性の問題、風土の特徴など、あらゆる条件に左右されて発展するのが信教の慣習である。本作は西洋を舞台にしたことだけは伝わってくるものの、国や地域を正確に特定することができず、ゆえに彼らの口にする信教がどの宗派を指すものなのかが最後まで明確にならない。物語のはじまりである1099年より数年前の1054年には東西教会が分裂しており、西欧で大規模な宗教的混乱が起きていたことも踏まえると、ローマ・カトリックなのかギリシャ正教なのかという根本的な問題も見逃すことができなくなる。

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たとえば『ファタモル』では、時代によって変化する館の内部の様子(あるいは内装の変化)、または厳しい外装などが、そこに住む人々や館そのものの歴史を物語るものとして重要な役割をもつ。このように建物に歴史や思想を象徴させる傾向はギリシャ正教の思想に深く根差したものでもある。年代を具体的に提示しているにもかかわらず、当時とても深刻な問題であったはずの東西宗派の差異については留意されていない――まさにその点がために、日本人が西洋の物語を真似て書いた話、という感じが否めないのである。西洋人が宗教について書くとき、時代や民族、土地について具体的に提示せず物語を書くことはまずありえない。

なぜ舞台背景がここまで気にかかるのかと言えば、扉ごとに明確な年代が示されることからもわかるように、『ファタモル』は歴史性を主題とした物語だからである。自己や記憶の歴史性は、時代の空気とともに移り変わる館の歴史に大きく影響されており、そうした時代をまたぐ想いの集積が、魂の歴史となって現代において結晶化した。しかしその一方で、その歴史性はあくまで一般化されたものにすぎず、具体的なものとしては描写されることがない。宗教を語るのに必要な要素を欠いた宗教的な物語、とでも言うべきだろうか。これまで私はそういった物語を読んだことがないので、いまのところ相対的に評価することができそうにない。しかしながら、ここまで強い力をもった物語であるところからすると、今後なにかのおりに重要な問題提起となるかもしれないので、こうしてここに書き残しておきたいと思った次第である。*ベステアの挿話では当該の国で起こった継承戦争への言及があり、第三の扉では新大陸アメリカの経済勃興が明らかな背景となっているなど、背景を推測できるものはあるが、決定的な答えを出せないようなつくりになっている。おそらくは、ある特定の地域性を館にもたせたくない、という書き手の計略なのであろう。

 

●付記

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さすがに中世ではアレルギーという概念は存在しないだろうとか、喧嘩両成敗は日本の武士の言葉だろうとか、いろいろと突込みどころもあった本作であるが、前夜で十分に述べた通り、『ファタモル』は紛れもない傑作である。しかし傑作だからこそ、多くの読者に問題を投げかけるものであり、厳しい批判と綿密な読解の手続きを経て、より豊かな物語となる可能性をもっている。イギリス文学の研究をしていながらも宗教は私の弱い分野であり、本作の宗教の問題については、手練れによる意味深い問題提起と厳密な評価を待ちたいところである。

そのほかにも、差別意識の問題や各挿話の寓意的主題、悪魔との契約というファウスト的な主題など、切り口はいくらでもありそうだから、ひとによって得るものは様々なのではないか。わりあい広い層が楽しめる要素ももつ作品だと思うので、今後もひき続き相応の地位を保ちつづけるであろう。残念ながらいまのところ続篇をやる気力はないので、これにて私のファタモル体験は終了。いやはや読むの考えるのも書くのも気力のいる物語であった。

⇒『ファタモルガーナの館』を読む 前夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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