ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

『AIR』を読む 補遺(感想・レビュー)

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研究者としての性とも言うべきか、『AIR』を読み終えてからの数箇月間、熊野や自然信仰、口頭伝承、あるいは景観工学についての文献をいろいろとあたってきた。特に熊野の文献については、私がほしいと思っていた情報がほぼすべて手に入り、そのおかげで『AIR』が熊野の風習をかなり丹念になぞってつくられたものであることがわかってきた。年末から『SNOW』をプレイするということもあり、ここで一度、熊野と『AIR』の関係をまとめておきたいと思う。

 

●霊鳥信仰

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SUMMER篇での翼人信仰、AIR篇における往人の烏への変貌など、『AIR』全篇を貫いている“鳥”に対する信仰は、やはり熊野の風習によるものであった。熊野では特に烏が神の使いとして崇拝され、だからこそAIR篇でも烏は物語を俯瞰する語り部に据えられている。豊島修の指摘では、「死者の霊の去来を烏の姿であらわした」ゆえに、熊野では「とくに烏が霊鳥視された」のだという(豊島修『死の国・熊野』第三章)。

また、烏が神聖視されるようになったもうひとつの理由は、熊野にあった風葬の慣習による影響であった。熊野には古墳時代の古墳が存在せず、風葬が日常的に行われていたと推測され、日本における烏と死者の関係は、「死屍にあつまる悪食の烏が、さながら鳥葬の観を呈したからであろう」と指摘される(五来重『熊野詣』第一章)。

・・・・・・風葬死屍が「けがれ」であればあるほど、その風化をたすけて不浄を清掃する烏は神聖視されなければならない。そのうえ烏がミサキとして霊魂の去来する姿と見られるようになると、畏怖と尊敬をもって遇せられることになり、ついには神使ともみられるようになる(五来重、前掲書、同章)。

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f:id:SengChang:20171031175147p:plainつまりは、地面に横たえておいた死者を烏がついばむ光景は、古来の日本では日常的であったということである。そうして死者の魂は烏によって黄泉の国へ運ばれると考えられていた。烏がミサキないしミサキ烏と呼ばれるのは、「ミサキは神の御先、すなわち神使という意味」だからである(五来重、前掲書、同章)。また御先は御崎、すなわち岬のことでもある――「岬は神の依り着く場所であると同時に、神が旅立つ場所でもあった」からこそ、「「ミサキ」という名詞は・・・・・・岬の聖性と合わせ、風・潮流の変化をもたらす危険な場に対する畏怖、それをもたらす神の存在を意識して、「御崎」「御先」と、尊崇の接頭語をもって構成されたのであった」(野本寛一『神と自然の景観論』第二章)。旅立つ神の使いとして、死者の魂を神の国へ運ぶ役割をもった烏が、神聖な鳥として信仰されたと想像するのは難しくない。

烏としての往人もやはり、死にゆく観鈴の魂を導く存在として彼女を見届ける役割を担う。『AIR』の鳥信仰の陰にはこのような熊野の文化風習が隠れており、往人が烏となって観鈴たちを見守るのは、なにも物語による不自然な設定などではなく、古来より熊野に根づいた風習によるものだったのである。

 

●先祖の罪をはらむ業因

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AIR』の物語の大きな特徴は、千年続く想い・呪いの継承であった。中世の日本ではこうした仏教的な考えが広く定着していたこともあり、人々はけがれを落とす功徳を求めて、熱心に熊野詣を切望したという背景がある。

このような苦行はまた過去現在の罪穢を業因として、いま受けている病患や不幸の苦果を消滅して、現世平穏ならしめる宗教的目的をもつものである。・・・・・・しかもその業因は自分に責任のない前世、あるいは先祖の罪業をもふくんでいたので、現世の病患や不幸、あるいは来世の堕地獄のくるしみはのがれがたく、因果応報の法則は、林檎が木から落ちるよりも確実とおもわれたのである(五来重、前掲書、第一章)。

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過酷な熊野詣は、過酷がゆえに、こうした罪を払う功徳のあるものとして人々に受けとめられてきた。五来重はまた「このような難路をあえていとわず、熊野詣がおこなわれたその精神的背景に、われわれは中世人の強烈な滅罪信仰と浄土信仰の二面をみとめることができる」と結んでいる(五来重、前掲書、第一章)。この言葉を受けて私たちは、当時の人々の精神性がまさに、『AIR』のうちに表現された「強烈な滅罪信仰と浄土信仰」そのものであることに気づくのである。ゆえに、熊野を中心とした中世日本の精神性が、『AIR』のなかでは現代的な視点から語りなおされている、と結論づけてもよいであろう。

 

●付記とその他の主題

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かつての熊野比丘尼は「熊野観心十界絵図」を用いて「人生の流転を絵解きした」と言われる(豊島修、前掲書、第六章)。また、熊野比丘尼那智山の七本願のいずれかの寺に属したとされるが、寺社の修繕などで諸国の寺を訪れ、絵解きをしたのだという。承知のように“流転”は『AIR』の基軸であり、さらには神奈や八百比丘尼が各地の社殿を転々としていたところは、熊野比丘尼が諸国の寺社をめぐった歴史とも響きあう。

熊野と関係した主題以外では、AIR篇の観鈴の幼児退行や記憶喪失について、なにか特筆すべきことはないかと考えている。いずれにせよ、驚くほど豊富に主題を提供してくれる作品であることは、いまさら言うまでもないだろう。今回、熊野という土地とその風習から『AIR』を捉えなおすことで、改めてこの物語の魅力を痛感した次第である。今後も幾度となく立返るであろう、私にとっての特別な作品である。

⇒『AIR』を読む 前夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『AIR』を読む 後夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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