ワザリング・ハイツ -annex-

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『幽』を読む(感想・レビュー)

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本屋で偶然見つけた作家である。こんな美しい文章を書く作家がいたのか。東大の研究者でもあり、非常におもしろい著作を多く生みだしているひとでもある。『折口信夫論』や『口唇論』といったすぐれた論考では、作家の卓越した言語感覚も然ることながら、非凡な発想でテクストに寄りそった濃厚な読解を愉しむことができる。そういった才覚は小説にも十二分に生かされており、これは売れないだろうなあ、と褒め言葉を贈りたい、非常に重要な作家なのではないかと思う。

 

●“うち”と“そと”の融解

和辻哲郎の回で述べたように、日本における「家」というのは“うち”として、“そと”と截然と隔てられた閉塞的な場として理解されてきた。家=うちは同じ思想を否応なく共有する人々や物からなる精神共同体である。

最も日常的な現象として、日本人は「家」を「うち」として把捉している。家の外の世間が「そと」である。そうしてその「うち」においては“個人の区別は消滅する”。妻にとって夫は「うち」「うちの人」「宅」であり、夫にとって妻は「家内」である。家族もまた「うちの者」であって、外の者との区別は顕著であるが内部の区別は無視せられる。すなわち「うち」としてはまさに「距てなき間柄」としての家族の全体性が把捉せられ、それが「そと」なる世間と距てられるのである。(『風土』第三章 *二重括弧内は原点では傍点

『幽』を読んでいてまず興味をひいたのは、伽村の借りた家が非現実的な亜空間として描かれているところであった。これまで一度も見たことのない部屋がふいにあらわれたり、そばの家に住む沙知子の部屋と家の廊下がつながってしまったりと、自分の住む家でありながらも全体像が把握できない、ある種の外部として住居が捉えられるのである。すなわち、本来は自分の手のゆき届く“うち”であるはずの家が、“そと”に向かって開かれた場としても機能しており、本質的な家の性質を内側からゆさぶる磁場となる。それは永瀬というよく知りもしない仕事仲間から借りた家だという事実にも起因するのであろう。伽村の住まう家ははじめから伽村の外の世界に属する場であり、そこに伽村がふらりとやってきて身を落ちつけてしまった――言うなれば家を自分にとっての“うち”にしないまま仮の宿とする、伽村の気まぐれな心持ちと強く響きあっているのだと言える。

そんな内外の融解した場で身を落ちつけることに、伽村はどこか愉悦を感じるふしがあり、家のなかから外に向けて思いをめぐらせながら、現在と過去の諸々をとり混ぜて自由な思索にふけるのである。「家とは雨風や寒さから人を守ってくれる防壁のことであるよりはむしろ、ここまでは外の世界、ここを越えればもう内側というその象徴的境界そのもののことなのではないだろうか」と語りながら、その線引きをするのに必要なものが「女」であると続ける(144)。

ただとりとめもなく間取りを変える家に身を置いていても伽村には外から切り離された安全な内に保護されているという実感はあまりなく、やはり生活を共にする女が傍らにいなければ家は家にならないような気がしてならなかった。それは家ではなくやはり仮寝の宿でありキャンプのテントでしかないようだった。女が傘を広げてその内に迎え入れてくれないかぎり男の生はいつまでも仮初めのものでしかないのだと伽村は思った。(144-45)

しかし伽村はいまさらふたたび誰かと家庭を築きたいとは思わない。娘を事故で失い、妻と別れた伽村の心痛はつねに“そと”にいるような「癒やされえない」「乾き」についての彼の言によくあらわれている――それは「わたくしごとを越えた匿名の痛みであり、その痛みが“痛まれる”・・・・・・場所なのであって、そこにひとたび身を置いてしまえば伽村の愛着したもの、伽村の記憶しているもの、伽村の懐かしむもの、伽村の渇望するものなどもはや大した意味を持たなくなってゆく」のだという(141-42 *二重括弧内は原典では傍点)。伽村は対象化できないはずの自身の感情を無理に対象化し、自身から切りはなすことでかりそめの平穏を得ているのであり、それをふたたび“一人称的に”ひき受ける気概をもはやもたない。すなわち伽村は、自らの“うち”なる心を“そと”にゆだねて一般化することで、“うち”と“そと”を故意に同一化しようと試みる。むろん言うまでもなく、そういった伽村の心の働きと住居の場の性質とはここでは緊密に手を結んでいる。伽村の言葉通り、本来であれば「外から切り離された安全な内に保護されている」はずの家のうちが、外に向けてむきだしになったまま守られていない。しかしながら、だからこそ伽村はそこに平穏を感じる、という矛盾がここには見られるのである。

“うち”と“そと”とが一体になるということは、すべてが表に出るということ、すなわち「奥」という神秘が成立しえないということでもある。

日本人の聖なる空間というのは奥にある。これは家屋でもそうです。だんだんと奥へ行くほど価値が高くなる。奥へ通されるということは、丁重なもてなしをうけることになります。(市川浩『〈身〉の構造』Ⅲ)

「奥に中心があるという感覚は、日本人がずっともち続けている感覚」であり、「奥」には大切なものが、外から守られる形で存在している(樋口忠彦『日本の景観』第二章)。家の奥には当然、その家の者たちの大切なものがしまわれているのであり、それは本来あらかじめ外の世界から隠されるべきものである。だが伽村は「奥」が成立しえない家に自ら望んで住み、隠すべきものを隠しえない場にあえて身を置くことで、自身の心を疎隔してしまうのであった。それゆえ「こんなふうにここ何百年かの近代の出来事がすべて噓ということになり、東京などというものが存在しない時代の光景が現れてもそれは今の伽村の幸福に何も影響を与えなかった」とまで言いのけてしまう(153)。現実と夢幻が溶けあった世界で自分を正しく位置づけられなくなったとしても、「奥」をもたない伽村にとっては、どうでもよいことなのであった。伽村の抱える絶望がいかに深く「癒やされえない」ものであるのかがここにははっきりあらわれていると言えるだろう。