ワザリング・ハイツ -annex-

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『アオイトリ』を読む(感想・レビュー)

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発売前から『アマツツミ』と対になる作品として注目を集めた『アオイトリ』。その予告通り、日本と西洋の信仰、言葉(言霊)の主題といった明快なものだけでなく、particularity とuniversalityや部分と全体の主題までをも織込んだ意欲作であった。大局的に見ると残念なところも多かった本作だが、私が気になったところを中心に主題を整理しておこうと思う。

 

●「特殊」と「普遍」の軋轢

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先に言及した通り、日本と西洋における神や信仰といったわかりやすい対偶関係のほかに、本作で惹きつけられたのはparticularityとuniversalityの主題である。それぞれ「特殊」と「普遍」と訳をあてることが多いものの、本作の言葉で置換えるならば、「特別」と「普通」になろうか。本作を『アマツツミ』との関係で読みとこうとするとき、この主題がとても大きな意味をもつ。

前作『アマツツミ』は、特別を手放して普通になる物語であった。一方で本作『アオイトリ』は、普通の人間が特別な人間に反旗を翻す――普通の人間が特別になる――物語である。普通の人間であるあかりが、特別な人間にふりまわされる世の中に疲れてしまった、とこぼすところはなかなか真に迫るものがあった。世の常識に囚われない、凡俗から突出した人間が世界を動かすことに、あかりのような普通の人間が辟易としている。だからこそあかりは“普通の理屈”で特別な摂理を転覆させようと試みる。選ばれた人間への嫉妬から彼らを――ここでは律を――淘汰し、特別な人間として成りあがってみせる。しかし哀しいことに、あかりの行為は“普通の理屈”に基づくがゆえ、普通から特別になるといういたって“普通の”ありきたりな物語にすぎない。「特別になりたいなんて、なんて陳腐で、卑小で、つまらない、ありふれた願いでしょう/その考えが、すでに平凡だという考えに至らない、凡人、凡人、凡人!」と悪魔が語ったように、彼女は凡俗な自分から抜けだそうとしながらも、その動機・行動・結果は、結局のところどこかから借りてきた凡俗なものでしかなかった。

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しかしだからこそこの物語の基幹は『青い鳥』なのである。『アマツツミ』は、大事なものを新しい環境で主体的に獲得する物語であったが、『アオイトリ』は、大事なものが実は最初からそばにあったという物語である。メーテルリンクの『青い鳥』で、物語冒頭の鳥と最後の青い鳥は同じ場所にいたから同じものだろうか、という謎かけをする場面がある。あかりも律も、両者はちがう鳥だと主張するが、その捉え方は『アオイトリ』の構図をそのまま説明するものとなる*。すなわち、あかりは“普通から特別へ”変化したのちに、“特別から普通へ”還るわけだが、物語冒頭のあかりと物語最後のあかりとでは、同じ「普通」でもその様相は大きく異なるであろう。平凡な幸せを手に入れたあかりは、自らの平凡をもはや否定的に捉えることはない。あかりはなにか新しい自分に変革したのではなく、もともとの自分に特別なものを見出したにすぎない。特別なのは結果ではなく経験の方であり、その特別な経験によって、彼女は変わらない平凡な自分を捉えなおしたのである。*しかし私は物語冒頭と終わりの鳥を別の鳥だとは思わない。もともといた鳥が青い鳥になったのは、鳥を見るチルチルとミチルの眼が変わったからであり、そうでなければありふれたものに特別を見出す本作と響きあわなくなってしまう。

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その点からすると、平凡な人間が自分を納得させるために普通のものに価値を見出す、つまりは普遍こそが第一義的だという、全体主義的な色もここには見えてきてしまう。部分は必ず全体に包摂されるため、特別な人間は民衆の普遍的現実に頭打ちにされてしまうという、非常に日本的な社会思想があらわれてくる。『アマツツミ』は、特別な力をもつ誠が普通の人間たちの理のなかへ入ってゆき、その価値を尊ぶ一方で、ほたるのような人間から特別な力の価値を再認識させられたがゆえ、どちらにも肩入れしない均衡のとれた物語であった。しかし『アオイトリ』では、平凡なものに隠れた価値を見出すことに主眼が置かれ、特別である必要はないのだと、輿論に寄添うような普遍的な物語が語られた。この点について深く分入るつもりはないが、対偶関係にある両作品であるにもかかわらず、異なる見解を提示して非対称な物語を語るのはおもしろい試みだと感じる。

 

●付記

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メーテルリンクの『青い鳥』は大学時代にフランス語の授業で読んだのだが、あまりにおもしろくなくてほとんど筋を覚えていなかった。おそらく当時の私の乏しい感性のせいであると思う。本作では『青い鳥』のあらすじを説明し、核心部分を解説しながら追いかけてくれるため、未読のひとにも理解しやすい工夫がなされている。minoriの『罪ノ光ランデヴー』でも小川未明の『赤い蝋燭と人魚』が下敷きにされており、児童文学を援用した作品があるのはとてもよいことだと思う。国外だけでなく、国内にもすばらしい児童文学はたくさんあるので、これからまたそういった作品をとり込んだ物語が多く出てくることに期待したい。

本作について言いたいことはいろいろあるが、重要な主題を喚起しない苦言は書かないと決めているので、ここにはいっさい記載しない。『アマツツミ』と『アオイトリ』のどちらがよい作品か、というのはあまり意味のない問であるが、『アマツツミ』がなければ『アオイトリ』の魅力は半減する、と言わなくてはならないだろう。それでも、抱きあわせの作品としてはよくできていたと思う。特に「始まりの3日間」と最初のあかりエンドは一読に値する。本作の作者の次回作にも大いに期待したい。

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