ワザリング・ハイツ -annex-

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『腐り姫』を読む 補遺(感想・レビュー)

f:id:SengChang:20180831220206p:plain腐り姫』二周目プレイの記念として、なにか残しておけないかと書いてみた記事。これだけの名作にたった二本のレビューはあまりにもさびしいと思い、ここ数年で気になっている日本の神と“矛盾的同一”をテーマにとり、今一度『腐り姫』をあらためた。しかし何度やっても名作。おそらくこんなノベルゲームにはもう二度と出逢えないであろう。

 

●とうかんもりの神と狐の嫁入り

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日本の神々は外国から、あるいは常世から来たと言われるものが多く、蔵女もその例外ではない*。作中では、腐り姫は外国から来たのかもしれない、と学者によって言及されており、実際に蔵女はこの地の外から訪れた存在だとあきらかになる。そして五樹が名前をつけることで、蔵女はとうかんもりに根づく神となった。名前をつけるという儀式が、神が人間に必要とされたことの証となり、ふたたび浮世のうちに見出されるという主題は、かの『神樹の館』で展開されたものでもある。神は人間に必要とされてはじめて存在するものであり、さらに名前は相手の存在の印であるため、五樹は得体の知れない存在を「蔵女」と名づけることで、それに確かな存在を与えたのだと言えよう。*このような来訪する神を折口信夫は「まれびと」と呼んだ。「まれびとは古くは、神を斥す語であって、とこよから時を定めて来り訪うことがあると思われていた」(『古代研究Ⅴ 国文学篇Ⅰ』「国文学の発生――まれびとの意義」)。

f:id:SengChang:20180830212524p:plain腐り姫」という神の役割は、魂とひきかえに願いを叶えることにあった。しかし実際のところ、その結果が果たして災いなのか幸いなのかがあまりに曖昧であるために、腐り姫がどういった神なのか定義するのが難しい。本来であれば神はその土地の環境を映しだすものであるが、腐り姫がなにを司るのかははっきりとしていない。しかし本作はここにもうひとつ「狐の嫁入り」という伝承を挟む。どうやら蔵女と五樹の物語はこちらに準ずると言えそうである。

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f:id:SengChang:20180830211620p:plain異類婚姻譚としての狐の嫁入りの物語は、人間と結ばれる雌狐、という話のほかにも様々な言伝えがあるようだ。いずれにせよ、ひとを化かしてねんごろになる、と考えれば、本作における狐の嫁入りの暗喩はあきらかである。ゆえに柳田國男の分類に従えば、腐り姫の伝承は、伝説というより昔話に近いと言えるのではないか。だからこそ後半は狐が水先案内人となり、あやかし・神に導かれる人間の宿命が語りつがれ、『腐り姫』は悲劇のうちに完結する。実によくできた物語である。

 

矛盾的同一の意義

f:id:SengChang:20180830211618p:plain未来への生きる意志をもたない人間を腐らせるのが腐り姫である。ヒロインは蔵女の助けを得て、過去に果たされなかった想いを成就するものの、それがまさに“腐る”ことにほかならず、彼女たちの魂は例外なくこの世界から消えてしまう。彼女たちにとって想いを遂げて魂を捨てることは“生きる”ことにほかならず、未来を意志して生きるために「腐る」ことをためらわない。後夜の記事でも述べたように、人間が本質的にはらむ生と死の併存という矛盾的同一が、ここにもありありと描きだされていると言ってよいであろう。

言うなればそれは、彼女たちにとっての幸福が、五樹にとっての、あるいは物語にとってのBad Endであり、ひとつのエンドが矛盾した意義を包含するということでもある。ノベルゲームの慣習として、主人公とヒロインの幸福が互いに重なる前提があるものの、本作はそれを転覆し、自分にとっての幸福が必ずしも他者にとっての幸福とは限らないという、当たり前の事実をあらためて突きつけてくるのである。彼女たちの幸福と消失を前に、五樹は絶望感を覚えながら、閉じた四日間を延々とくり返しつづける。

f:id:SengChang:20180830211613p:plain本作のサブタイトルはeuthanasia(安楽死)であるが、当人の想いが果たされ、消失するさまは、まさに安楽死そのものである。これを“腐る”ことだと捉えたのがおもしろいところで、『腐り姫』はいわゆる少女救済型の物語を装いながらも、救済が五樹にとっては悲劇にしかならないという、ひどく矛盾した結末を次々と提示してくる。むろんこうしたエンドをBad Endととるか否かは、ヒロインと五樹のどちらの視座をとるかによって異なり、これも『腐り姫』に埋めこまれた数々の矛盾のひとつと言えるだろう。『腐り姫』のBad Endは、あくまで五樹にとってのBad Endでしかなく、各ヒロインと五樹が最後まですれちがったままという点も忘れてはならない。

 

●付記

f:id:SengChang:20180830211621p:plain腐り姫』は私の大好きな物語である。物語冒頭で、名曲「とうかんもり」が流れ、クレジットが入るふたつめのオープニングを見るたびに、心の底からうわっとわきあがるものがある。そういう体験は文学作品以外で経験がなく、ああ、いいな、と久々に心の奥が満たされる思いだった。

再読してみてやはり『腐り姫』はかなりややこしい話だと感じた。業の深い簸川一族の歴史についてもよくわからないし、両親の背景も詳しくは語られず、また蔵女という神の位置づけもかなりぼんやりとしている。この業界には「雰囲気ゲー」という言葉があるけれど、それで済ませてしまえるほどこの物語は貧しくはない。無理につじつまを合わせることはなかろうが、はっきりしない現象が多いところも含めて、生きている手触りを強く感じる物語である。

わかりやすい物語ばかりが生みだされる時流にあって、君はそういうものに決して迎合するな、というのは私の先生の言である。自分が理解できたものだけを好み、理解できないものについてためらいを覚えてしまうのは、人間だれしも同じであろう。それゆえ理解できないものだらけの世の中とおりあうのはとてもむつかしい。だからこそ、物語を通して自分の理解できない世界を柔軟に受けとめ、ああでもないこうでもないと考えることこそが、いまの自分にはとても必要なことだと思っている。

⇒『腐り姫』を読む 前夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『腐り姫』を読む 後夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『腐り姫』:CG Commentary - ワザリング・ハイツ -annex-

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