ワザリング・ハイツ -annex-

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『腐り姫』:CG Commentary

f:id:SengChang:20180921230039p:plain腐り姫』レビューの番外篇。現在、本篇三周目の読みなおしに入っており、『腐り姫』は自分にとっての特別な作品となりつつある。今回はCG Commentaryとして、印象に残った主題に関するCGをとりあげた。ちなみに本記事の後半には本篇のFD『腐り姫 帰省~jamais vu~』についてのコメントを付してある。

 

●「この土地では、文明開化の後も、神秘や暗闇に対する敬意が残っていたということだね。」

f:id:SengChang:20180921230032p:plain自然や神への態度の変化が環境問題の本質であるという、野本寛一の「信仰環境論」を思わせる言葉。野本は『神と自然の景観論』の緒言で次のように書いていた。

「神々の風景」は総じて変貌が著しい。それは衰微・荒廃してきているといって間違いない。その変貌と衰微は日本人の「神」の衰微であり、日本人の「心」の反映にほかならない。すべての環境問題の起点はここにある。自然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座し、自然の恵みに感謝するという日本人の自然観・民族モラルが揺らぎ、衰えてきているのである。

現在の環境問題の発端は、私たちが神聖なものへの畏怖をなくしてしまったことにある。いたずらに森を開拓することで、“奥”が可視化し、暗闇に据えられていた神秘が消え失せてしまった。

また、それぞれの土地に伝わる口頭伝承には、住民たちの生活を守るための意識があらわれている。しばしば川の氾濫に見舞われる土地であれば、水の神を祀ることで難を逃れようとしてきたし、林業が盛んな土地では、過剰な伐採を避けるために、切れば祟があると伝えられる神木も多いと聞く。そのような伝承が絶え、ひとが自然に対する畏敬の念を置き去りにしたいま、自然が見るも無残な姿で朽ちてしまっているのは、私たちの愚行を省みるならば当然のことなのである*。*この“奥”に潜む神をふたたび見出す物語が『神樹の館』であり、以前の記事に書いた通りである。

 

●「民話とか伝承といったものには、必ず類似性というものがあってね。」「ある地方で聞いた話と、えらく似た話をまったく別の土地で聞くことがあったりする。」

f:id:SengChang:20180921230040p:plain諸方で指摘されていることであり、いまさらくり返すまでもないが、考えてみると不思議なものである。柳田國男の『日本の伝説』や、野本寛一の『神と自然の景観論』などには、全国各地の似通った伝承をテーマ別に整理しており、きちんと読んでみると、なるほど、もっと調べてみたくなる。土地によって風土や産業はちがえど、敬意を抱く対象は同じであったのだなあと感じる。「昔の神さまは自然や災害の化身が多かったから、別に珍しくもなかったんだよ。」という言葉も、先に述べたような口頭伝承と土地の民俗との関係を鑑みれば、日本における信仰の特徴をよくあらわしたものだと言えるのではないか。

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●「過去を見ないということはいまの自分を否定することになるんじゃないかしら。」

f:id:SengChang:20180921230034p:plain現在の自己は過去の自己の積重ねによって成立っており、“いまここ”にある自己は非連続の連続としての自己である。ひとはそのつど自己を獲得しながら生きており、その営為全体が自己として捉えられるからこそ、現在の自己がかけがえのない唯一のものだと言えるのだろう。

腐り姫』はそうした自己の礎としての過去の自己を失い、疎隔された自己しかもてない五樹の物語であった。過去の自己をもたなければ現在の自己は存在しえない。それゆえ、実は五樹がすでに死んでいたというのは、ごく自然な帰結だったように思う。『腐り姫』では、時間が否定された、自己の獲得をなしえない舞台の上で、すべての物語が語られていた。

 

●『腐り姫 帰省~jamais vu~』について

f:id:SengChang:20180921230041p:plain五樹がとうかんもりに帰省し、芳野と潤が簸川の一員になる夏を描いた、静かな短篇である。特筆すべきことが特にないほど短いものの、本篇において樹里がなぜ潤をひいきにしたのかについては、『帰省』を読むと納得できるのではないかと思う。

樹里に関して言えば、おそらく彼女だけが、すでにこのときから蔵女を認識していたこと、蔵女にそそのかされていたことが暗に示される。この点をどう捉えるかについてここで言及する勇気はないが、本篇で描かれた樹里の人物像を、別の角度からあらためる必要があるのかもしれない。最後にある五樹と樹里のふたりきりの会話にしても、本篇で強調された樹里の狂気に満ちた姿ではなく、兄への想いを静かに語る樹里の姿こそが、本来の彼女の姿なのではないか。

いずれにせよ、こうした点から『腐り姫』をあらためなおしたレビューはなく、『帰省』を踏まえたレビューが書かれる望みも限りなくうすいであろう。そのことが非常に残念でならない。

 

●付記

f:id:SengChang:20180921230038p:plain『帰省』が付属している『腐り姫読本』を私は運良く4k未満で入手することができた。おそらく作品に呼ばれたのだろう。ファンとしてはやっておいて損はない作品であり、書物自体もボリュームがあって読みごたえがあった。興味のあるひとは気長に待っての購入をおすすめする。

はじめて『腐り姫』をプレイしたのは一年前の夏であった。このたび四本目のレビューを書きあげ、これにて私の『腐り姫』はひと段落つくのではないか。しかし物語の余韻はまだまだ何年も尾をひき、これから先も幾度となく読み返すであろう作品である。こういった物語に出逢えたのはただただ幸せのひと言に尽きる。

⇒『腐り姫』を読む 前夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『腐り姫』を読む 後夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『腐り姫』を読む 補遺(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『腐り姫』を読む 補遺Ⅱ(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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