ワザリング・ハイツ -annex-

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メアリー・シェリー「マチルダ」を読む

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私のなかでの英文学史上最高傑作『フランケンシュタイン』を生みだしたメアリー・シェリーが描く、こてこてのロマン派小説。父と娘の近親相姦“的な”感情と、自殺を主題として扱った短篇小説である。これが非常によかった。

自殺の主題については、以前にゲーテ『若きウェルテルの悩み』の記事にて言及したが、ここでもう一度『ウェルテル』の一節をひいておきたいと思う。

「自殺するなんて、人間がどうしてそれほど馬鹿になれるのか、わけが分らぬ。考えただけでも腹がたつ」

「あなた方のような人たちは」と私(ウェルテル)は叫んだ、「何か事があるとすぐに、それは馬鹿だ、これは悧巧だ、それはいい、これはわるい、といわないと気がすまない。・・・・・・それをいうために、あなた方はその行為にはどんな事情がひそんでいたかを、しらべたことがありますか?」(81)

これは当時のキリスト教圏における自殺についての態度をよくあらわした一節であろう。「ある種の行為は、たとえそれがいかなる動機からおこったにしても、つねに罪悪」だと言われる。ここでウェルテルの叫びがむなしく響くのは、つねに罪悪である以上、そもそも自殺の背景など考える必要もないとされていたからである。

メアリーは「マチルダ」のなかで――あるいは『フランケンシュタイン』においても――自殺を肯定せざるをえない状況を描き、“they[the living] weep for their own misery, and not for that of the being they have lost.”(生きている者は己の悲しみのために嘆き、失った人間の抱えていた悲しみのためには涙を流さない)とまるでウェルテルのような言葉をマチルダに語らせている(209)。またメアリーの母も同じように、作品のなかで自殺を描いた作家であった。そういった主題が当時のイギリス文学で頻繁にあらわれるのは、むろんイギリス国内で自殺が多かったからにほかならない。

…suicide was also a frequently discussed public topic in the late eighteenth and early nineteenth centuries. In fact England was thought to be the suicide’s special home, the preeminence being blamed by the pious on religious infidelity and by the impious on social malaise, constitutional melancholy and the miserable climate. (xxii)

フランケンシュタイン』も然り、メアリーが描きだすのは、なんらかの事情により世の道徳から疎外されてしまった人々が、だれともわかりあえないまま孤独に死んでゆく姿である。決して悪をなしたわけではない人間が、徹底的に他者から切りはなされて天涯孤独となり、いかに生きうるのか――これは『最後のひとり』でもとりあげられた問題であるが――をメアリーは問いつづける。娘に特別な感情を抱いてしまった父が死の報いを受けるのは当然のなりゆきであり、加えて死因が自殺であったことにより、罪はさらに重くなる。そして同じように父を愛してしまったマチルダは、父の死後すべてに対して無気力となり、死を望む毎日を経てついに病に倒れてしまう。ふたりを死に追いやったのは、言うまでもなく“道徳”である。

キリスト教は告白の宗教であり、罪をうちあけ悔いあらためるまでを道徳的な行いとする。しかしふたりは決して「あらためる」ことができない。あらためることは、すなわち、愛情を否定することと同義であり、ふたりの幸福な日々を否定することにほかならなかった。ここには、キリスト教の掲げる正義、道徳的ふるまいの影がいかに深刻であったのかがよくあらわれており、自殺を禁ずる道徳こそが彼らを自殺に追込むという、大きな矛盾が見てとれる。

自殺大国と言えば、我らが日本を措いてほかにはないと言えわざるをえない。日本の古い宗教とも言える修験道に捨身行があったのは有名な話だが、日本は古くから自殺が文化として根づいている国であり、命を捨てることが時に神聖な意味をもつ。のちの民族自決に至るまで、こうした宗教風土はキリスト教とは正反対であり、そこに西洋のような罪の意識が生まれることはなかった。国民をひとつに束ねるための心の統制を強いる、いわゆるイデオロギーとしての宗教が日本に根づくことはなく、私たちが自殺に罪の意識をもち込む文化的必然は存在しない。

そういった文化の差異を踏まえてロマン派の作品を見るとき、とたえば「マチルダ」のような物語はとても奇異に映るのだ。マチルダと父の苦悶が「ロマンティック」なのは、近親相姦というタブーの関係だけが理由ではなく、そうした禁忌のすべてを背後で統べるキリスト教の道徳観念が強く働くからなのである。いわゆる「罪悪」として自殺を見るとき、ロマン派がいかに急進的な文化であったのかを、私はいつも思いだすのである。

 

<Works Cited>

Wollstonecraft, Mary and Shelley, Mary. Mary and Maria. / Matilda. Ed. Janet Todd. London: Penguin, 2004.

 ゲーテ, J. W. v.. 『若きウェルテルの悩み』竹山道雄訳、岩波文庫、2013

⇒メアリー・シェリー 『フランケンシュタイン―あるいは現代のプロメテウス』 - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒Mary Shelley / Frankenstein, or the Modern Prometheus - ワザリング・ハイツ -annex-