ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

2017年の読書をふり返る

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昨年は試験や仕事がずいぶん忙しくなったせいでめっきり量が減った感がある。しかし拾い読みはいつにも増して多く、実際に吸収できたものはかなり多かったように思う。残念ながら漫画にふれる時間はまったくなかった。昨年同様、ノベルゲームについては、下半期の総括記事にまとめたのでそちらにゆずる。

 

<リスト>

関係としての自己(木村敏; 再読)

これがニーチェだ(永井均

ウィトゲンシュタイン入門(永井均

SWAN SONG瀬戸口廉也

少女マイノリティ(pure more)

死体泥棒(唐辺葉介; 再読)

シンボルスカ詩集

Light, Grass, and Letter in April(Inger Christensen)

半分の月がのぼる空6(橋本紡

少女アクティビティ(pure more)

水葬銀貨のイストリア(ルクル)

アマツツミ(御影)

瓶詰の地獄(夢野久作

神樹の館(希)

風土(和辻哲郎

Phantom INTEGRATION(虚淵玄

少女地獄(夢野久作

秋の花(北村薫

すみれ(片岡とも

ナルキッソス-すみれ-(片岡とも

我と汝(マルティン・ブーバー

自分ということ(木村敏; 再読)

AIR麻枝准

腐り姫(Liar-soft)

西田幾多郎の生命哲学(檜垣立哉

死の国・熊野(豊島修)

霞外籠逗留記(希)

熊野詣(五来重

らくえんTerraLunar

ファタモルガーナの館(Novectacle)

日本の景観(樋口忠彦)

枯れない世界と終わる花(SWEET&TEA)

暗い部屋(唐辺葉介

神と自然の景観論(野本寛一)

西田幾多郎の思想(小坂国継; 再読)

西田幾多郎の生命哲学(再読)

西田幾多郎哲学論集(Ⅰ-Ⅲ; 再読)

灯台へヴァージニア・ウルフ; 再読)

フランケンシュタイン(メアリー・シェリー; 再読)

テュンセット(ヒルデスハイマー)

吉野葛蘆刈谷崎潤一郎; 再読)

ナルキッソス0(片岡とも

ナルキッソス片岡とも; 再読)

西田幾多郎永井均

ノラと皇女と野良猫ハート(HARUKAZE)

 

文学の話題からふれてみると、昨年はまず北村薫の『秋の花』が抜群によかった。お話としてあれほど繊細なものを久々に読めたという充実感が大きく、多くのひとにおすすめできる一作である。また『半分の月がのぼる空』については言うまでもなく、こちらは記事として一本追加で筆を走らせたのでそちらをご参照いただきたい。

sengchang.hatenadiary.com

また、ここには記載していないが、松浦寿輝の「幽」という小説が、昨年読んだ小説としては最も文学的価値の高い小説であったように思う。

sengchang.hatenadiary.com

現在の関心のひとつである「うちとそと」の文化に関わる、家のなかの亜空間を巧みに利用した風変わりな小説であった。美しい文体も文句のつけようがないほど見事である。さらに再読した谷崎の『吉野葛蘆刈』は、以前に読んだときよりもはるかに強く印象に残った。今後も幾度となく読み返すであろう重要な一冊となった。

哲学については、一年を通して西田幾多郎と付きあいつづけた。あらゆる哲学者のなかで西田が一番いまの自分にはぴたりとくることがわかり、これから数年かけて、少しずつ深いところまで入ってゆこうと考えている。

そして昨年間違いなく最も収穫があったのは民俗学の文献にふれた経験であった。熊野を中心とした文献にあたり、現在は折口信夫赤坂憲雄、野本寛一、五来重といった民俗学者と付きあいはじめているが、2018年はこの分野をどう自分の文学にとり込んでゆくかが大きな課題となりそうである。なかなかひと言で言いあらわすのはむつかしいが、“自然”はここ10年来で、研究に限らず、自分の大きなテーマとして掲げてきたものであり、それがようやく具体的な形をとりつつあると感じた。自然信仰を中心とし、景観論も含めながら、民間伝承という文学が土地や習俗とともにどのように形成されてきたのかをより深く研究することが、今年一年の最優先事項となるにちがいない。

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⇒2016年の読書をふり返る - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒2015年の読書をふり返る - ワザリング・ハイツ -annex-

 

『水葬銀貨のイストリア』: CG Commentary I

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名言アルバム『イストリア』のCG Commentary第一弾。生きるうえではあまり役に立たないが、誰もが心にとめてあること、そんな形容がふさわしい言葉が多かったような気がする。本作は正義についての深い洞察が見えるけれど、それについては前記事においてある程度ふれたので、今回は記事に盛りこめなかった秀逸な科白をふり返りながら、それらしいコメントを付してゆこうと思う。

 

●「自分を大切にすることが、あたしを守ることに繫がることを、よーく覚えておけばいいのよ」

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『アマツツミ』では「みんなのために自分を守る」という言葉とともに、『CROSS†CHANNEL』では「自分のために、人を大切にして構わない」という言葉を伴って展開された主題。翻ってみるならば、自分を大切にしない人間は他者を大切にできない人間だ、ということになろうか*。自己と他者それぞれに向きあうことが、このように同一視されるというのは、私にとっては至極納得できるものであった。また同じ主題が紫子によって、「わたしくにとって、都合がいいかどうか。物事の判断基準は、常にそこにありますから」と別の角度から捉え返されるところも、本作の複眼的な視座がゆえと言えるだろう。

f:id:SengChang:20180226132105p:plain*また『LOVESICK PUPPIESE』では「自分を安売りする人間は、他人を安く買う人間だ」という言葉が出てくる。

 

●「考えるから、読まれる。論理的に思考を展開するから、そこを突かれる」

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言葉を使えば必ず隙が生まれるもので、それがむしろ話者・書き手の味となって映えるものだけれど、その点を突かれて傷つけられてしまうこともある。言葉を使わなければそんな悲しい思いはせずに済むものの、自分とちがう言葉を用いるひととの豊かな関わりは失われてしまう。

論理もまた同じように、必ず生まれる論理の隙間を逆手にとれば、相手を傷つけることも、はたまた相手の魅力をひきだすこともできるのである。私自身は、論理は必ず崩されるものだと思っており、むしろ論理が崩されたところからが本当の人間関係のはじまりだと思っている。『イストリア』もまた、敗北によって物事が動きだす物語であったことを思いだしてほしい。ひとはひととぶつかってはじめて自分と周囲の歯車を動かすことができるのである。「理を以て非に落ちる」ところから“ひとらしさ”は生まれてくるのではなかろうか。

 

●「この世界は、常に犠牲を前提に成り立っている」

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くだんの論理の例を挙げるならば、自分の否定した論理を知らぬうちに自分が実践してしまっている、という場合が挙げられる。本作ではそうした挿話が意図的に多く扱われている。たとえば、涙の治療を強く否定する英士自身が、涙の治療によって救われた存在であったこと。彼の自己矛盾を「偽善」として糾弾し、居直った生き方をする紫子のほうが、むしろ潔く眼に映るのは決して偶然ではない。どんなに正しく見える論理であっても、それが犠牲にしているもの、覆い隠しているものは必ずどこかに存在する。

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しかし先にも述べたように、矛盾を恐れてしまえば、結局ひとはなにもできなくなってしまうのである。だからこそ英士たちは、自らの善の論理を偽善的なものと認めながらも、自身の論理のなかで善と結論づけたのならば、覚悟をもってそれを貫くべきだという、ある意味で恣意的な主体性を獲得してゆく。相対的な日和見の姿勢に甘んじるのではなく、主体的に偽をひき受ける覚悟をもち、相手の論理に真正面から自分の論理をぶつけてみせる。それは玖々里の「感謝されることを、諦めなさい。自分勝手に助けるなら、あたしはそれを応援するわ」という言葉にもよく現れている。

 

●「彼女の存在のおかげで、僕は生きる目的が出来て」

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小夜だけでなく、英士ともども役割同一性に嵌まりこんでいたわけだが、自己存立の根拠を他者に求めるのではなく、自ら選択して未来を切りひらいてゆく姿勢こそが、最終的に彼らのたどりついた生き方であった。自己の存在基盤を他者に求めるべきではない、という態度は、「自分の心を、他者に仮託するな!」という『CROSS†CHANNEL』の太一の言葉を彷彿とさせる。『イストリア』は一貫して自己を貫き通す姿勢に注視した物語であり、自身の選択を肯定して生きる態度に重きを置くがゆえ、「選択肢」の役割もまた非常に大きな意味をもった。

 

●「苦しみながら、戦いなさい。それが、紅葉の求める僕の生き様だった」

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「もっともがけ。楽に生きようとするな」という、『グリザイアの迷宮』の麻子を思いださせる一節である。『イストリア』はひたすらに不幸が折重なる物語であるが、それゆえ彼らが“生きている”と強く感じるのもまた事実である。物事を偏った視点から眺め、偏執的にこだわり、専心してなにかと葛藤する英士、紅葉といった人物たちの姿はとても文学的であり、本作の文学性をひき立てた大きな要因ともなっている。

⇒『水葬銀貨のイストリア』: CG Commentary II - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒『水葬銀貨のイストリア』を読む 前夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

 『水葬銀貨のイストリア』を読む 後夜(感想・レビュー) - ワザリング・ハイツ -annex-

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