ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 前夜

f:id:SengChang:20200506153958j:plainなぜノベルゲームだったのか。なにを求めてノベルゲームをはじめたのか。今でもそれはよく考える。ノベルゲームの存在を知って10年ほど、本格的に手をつけてから6年ほどという、私自身のノベルゲーム歴は非常に短い。しかし文学研究に従事してきた経験からすれば、長い年月付きあわなければわからないこともたくさんあるが、短い付きあいだからといって深く読めないわけではない。「私のノベルゲーム入門」と題してなにをしたいのかというと、だれかに向けて入門篇を書くのではもちろんなく、私自身に向けてノベルゲームのなんたるかを説きなおし、なにが自分を惹きつけたのかをたどりなおしたいのである。

これまで本サイトで示してきたように、ノベルゲームの多くは非常に単純な筋を敷いており、言葉も荒く、稚拙なつくりのものは多い。それもそれで楽しいのだけれど、この分野にしか存在しない特有のアングラ感と、倫理を破壊するためだけに倫理的限界を踏越えるおそれのある潜勢は、ほかに類を見ない。『沙耶の唄』の醜悪な描写の数々、また『SWAN SONG』の過剰なまでの暴力描写や救いがたい混沌は、ただただ常識的な秩序を破壊するだけでそれ以外にはなにももたらさない。しかし重要なのは、常識的な秩序を破壊することそのものであり、それが「本当に常識と言ってよいのか」あるいは「だれにとっての常識なのか」を問いなおすことにある。

世の中でさも当たり前のように認められている価値は、実はとてつもなく獲得の難しいものが多く、大多数のひとはそこに手が届かないままである。多くのノベルゲームが語るボーイミーツガール型のビルドゥングスロマンは、ほぼ実現が不可能な絵空事であるが、それは現実で掲げられる理想の焼きなおしにすぎない。そうではなく、一見単純な範型の物語に思えても、実はそのような窮屈な理想を内側から喰破る物語も数多くあり、私が影響された物語はそういった種類のものであった。「ノベルゲーム」と言うとき、私はそんな作品を想定している。

ここで扱うノベルゲームは、表の価値をよしとしない、それを根底から崩さざるをえない作品が多いはずである。普通に生きざるをえないひとが、そもそも普通とはなにかを問い、自己をあらためる物語をこれまで私は強く求めてきた。そのような物語が今後も数多く出てくることを願い、ここで連載をはじめてみたいと思う。

 

●なぜノベルゲームなのか

f:id:SengChang:20200506161401p:plain“物語”というものを考えたときに、文学以外にも、漫画や映画、ドラマ、舞台、ほかにも写真や絵画にだって物語はある。むろん日常の私たちの生活のなかにも物語がある。それらをひとつの物語としてとらえ、自身のうちに内面化し、自分なりのやり方でその物語を生きてみることはできる。そのような物語を“読む”ための最も基本的な方法を、実は私たちはだれに教わるわけでもなく体得し、日々実践している。千態万様の物語を生きながら、それでもなお新たな物語を欲し、くり返しそのなかに埋没しようとするのは考えてみれば不思議なものである。

大衆的物語でありながら文学的な物語を求め、特に漫画を中心に読みあさったところから私の旅ははじまった。この頃の収穫としては、たとえば大島弓子岩館真理子の作品が挙げられるであろうか。大衆的な物語と文学的な物語のどちらを自分のものとしてひき受けるのか、あるいはいかにして両者を結びあわせるのかが、かねてから頭を悩ませてきた問題であった。それゆえ、物語の種類の豊富な媒体、そしてこれまでふれてこなかった媒体を通して、自分のよく知るものとは異なる種類の物語をじっくりと見てみたかった。

また私がノベルゲームを紐解くきっかけになったのは、片岡ともの次の言葉があったからかもしれない。どちらかというと書き手として、彼の言葉に納得するものがあった。

ここにある数行を書きたいが為に、本編の25000行を書きました。(『ナルキッソス-SIDE 2nd-』「プロダクト」)

私がはじめて手にとったノベルゲームは『ナルキッソス』であったが、そのときの印象は今でも覚えており、粗悪な日本語のテキストにおいても、美しい言葉が光る片岡とものテキストは評価に値すると感じた。そんな書き手の書いたものもやはり一考を要するもので、 『ナルキッソス』『ソレヨリノ前奏詩』で終がはるかに向けて言った「矛盾はきれいだ」という言葉をそのままあらわした物語であった。

f:id:SengChang:20200503213937p:plain『ナルキ』の描いた主題は、死ぬための自己確立、死ぬことによる自己確立という逆説的なものである。今をどう生きるかについて幾度も心と対話し、限られた時を生き抜く、選択の物語だと言える。本来は生きるために自己をうち立てるはずが、生き抜くことが死ぬことと同義であるセツミにとっては、いかに生きるかを追求する自己確立の過程は、美しく散る死によってのみ完遂されうる。ナルキッソスシリーズに通底するこの矛盾をはらんだ主題は、“生きる意味”などというきれいごとをつめたく斥け、今を生きることだけを見つめた潔いものだと言えよう。刹那を生きるそのような生の意味などあらためて問う間もなく、自分のわがままを生きよという姿勢が貫かれるのは、同じく「プロダクト」のなかで片岡の言った「己の中身とは「自分以外」で占められているのでは」という考えに支えられている。つまりは、自らの思う生き方がだれかのためになる“こともある”のだ。「願いが叶うことがなくても、きっとこの場面で俺がそう言ったという事実が、普通の言葉でも特別な意味を付け加えてくれるだろう」(『SWAN SONG』)。

f:id:SengChang:20200506155054p:plain自己のためだけになされたことが他者のためにもなるというのは、それ自体が大きな矛盾であり、自らの生き方を極めることが死を目指すことと同じだというのもまた矛盾である。どちらも大衆的な世の価値とはかけはなれたものであり、それはたとえば『SWAN SONG』で描かれたような、あらゆる対立概念が互いを包みこんでしまう、絶対的な価値の存在しえない世のありさまでもあろう。ひとつの善が別の善によって悪へと転じ、その悪が別の悪によってふたたび善へと翻る。ある価値がつねにまったく正反対の価値をうちにはらむというのは、一が多の可能性をもつ絶対矛盾的自己同一の秩序にほかならない。言うまでもなく、それがマルチエンディングやマルチナラティヴといった形でゲーム構造そのものにもあらわれる。

窮屈な常識の矛盾をあばきだしてくれるノベルゲームの物語をとてもおもしろいと感じたほかに、かねてから必要を感じていた精神病理の主題の追求という問題があった。ここに立脚して私に“心”のなんたるかを説いてくれたのがあの『CARNIVAL』である。

もう全部駄目になった。でも、僕は生き残るよ? 理紗。僕は生き残るんだ。

僕は母親殺しの罪で一生苦しみつづける。ただ、ちょっとの間だけ、猶予を持つ。今は無理だ。気が狂う。狂ったらラクになっちゃうだろう? それは駄目だよね。(『CARNIVAL』)

sengchang.hatenadiary.com

学と理紗の出した答はごく単純なもので、『ナルキ』と同じ類のものでもある。永久に手の届かない幸福というにんじんを眼の前につるし、それをいつまでも追いつづけて生きるという決意である。あきらかにはじめから矛盾した生き方を貫こうとするふたりは、破綻するゆくすえが眼に見えてあきらかでも、意味を問うわけではなくただ生きようとする。彼らはそこで立ち止まってあのくだらない“生きる意味”をあらためて問う余裕がないほどに狂っている。「だれにゆるされるべきか」「そもそも罪を犯したのか」を問うこともなく頑なに「自分はゆるされるべきではない」と語りつづける理紗の狂気がそのすべてをあらわしていよう。このような現代の狂気こそ、このときの私が徹底的に付きあわねばならない問題であった。ここからminori作品『CROSS†CHANNEL』といった物語に出逢い、木村敏に理論を借りながら、現存在分析によって作品を読んでゆくことになる。私にとっての本格的なノベルゲームの旅はまさにここからはじまった。

私の知る限り、矛盾的自己同一精神病理を深く追求した物語がこれだけ多く見られる分野は、ノベルゲーム以外にはない。それはユーザーの層によるところも多分にあるとは思うけれど、これらが非常に現代的でかつ日本的な息苦しさのなかで生まれてきたものだという印象はたしかにある。それについては追々述べてゆくつもりでいるが、ノベルゲームの形式が日本の文化的特徴によく合っていたこと、また日本社会が村八分で疎外してきたいわゆる“弱き”人間に、社会で流布するものとは“異なった”物語を見せたことも大きく関係するのではないか。様々な偶然を経ておりしも私はノベルゲームに出逢った。自己を探求する物語分野として、文学のほかにノベルゲームを必要とした理由は、おそらくこのようなところにあったのではないか。

 

●付記

f:id:SengChang:20200506155046p:plainタイトルと構成案は木田元の名著から。

おまえ最近ノベルゲームなんてやってねえだろという突込みはさておき。先日久々に『ピュア×コネクト』を起動したらおもしろすぎて感動した。読みさしのまま措いてある『最果てのイマ』YU-NO』『雪影』『殻の少女』を完走したいとともに、いつかやりたいと思うのは『西暦2236年』『雫』『ハロワ』など。新作は追っていなかったのだが、たまたま偶然にもライアーの新作『徒花異譚』の存在を知り、これは運命かなと買うことを決めた。そのくらいのものであろうか。

このような形式で、多作品を串刺しにしながら考えをめぐらす記事は、ノベルゲームの記事としてはじめて書いた気がする。あるようでなかった記事。ノベルゲームをプレイする時間がない今、自分の好きな作品をじっくりたどるような時間をなんとかしてつくりたかった。これを機に、忘れかけていた作品を読みなおしながら、ふたたび滋養を得ることができればうれしい。次回はノベルゲームの物語構造について書きたいと思う。

⇒私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第一夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第二夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第三夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

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