ワザリング・ハイツ -annex-

どんなに忙しい毎日でも、紅茶を飲んで、ほっとひと息。

私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第一夜

f:id:SengChang:20200514094907p:plain

Visual Novel、Sound Novel、あるいはVisual Sound Novel、さらにはNovel GameやVisual Novel Game、Interactive Novelなどとも呼ばれる。各呼称から窺い知れるのは、この分野が形づくられてきた背景と作品のシステムであろう。視覚に重きが置かれるのか、音響なのか、またはそのどちらもなのか、あるいはユーザーとシステムとのやりとりなのか、テクストなのか。私は単にノベルゲームと呼ぶが、まず大前提として読みものであること、そしてゲームとして成立した背景を踏まえて、この呼称を用いている。それゆえ“読みもの”として見られない作品は私の想定するノベルゲームには含まれない。

今回ここで扱うのはそのようなノベルゲームそのものの基幹となる「構造」についてである。ここにはゲームシステムのほか、マルチエンディングといった特有の物語構造、あるいは伝統的な物語のジャンルといったものも含まれる。物語という点を考えるならば、ノベルゲームは最も新しい物語分野であり、ほかのありとあらゆる物語の形式をふんだんに駆使してつくられているところも一考に値する。物語を考えるうえで構造ばかりに眼をとられた読みは誠に邪道であるが、今回はノベルゲームそのものをとらえる試みでもあるので、それなりに紙幅を割いて広く考えてみたいと思う。

 

●ノベルゲームのシステム構造

f:id:SengChang:20200514094515p:plain

世界でも類を見ないほど日本でこれだけノベルゲームが定着したのは、考えれば考えるほど驚くべきことではないか。だれしもが思い浮かべるであろう紙芝居との類似は、おそらく遠からず影響を及ぼしたにちがいない。ここで深く切込むつもりはないが、ある分量のテクストを、あるいは連続したいくつかの場面を理解するにあたって、それらを抽象的に包括した一枚の絵をもってとらえる思考の傾向は、かねてから私たち日本人がもっていたものではないかと思われる。近年のノベルゲームが、本来のインタラクティヴ性を省き、あくまで読むことだけをユーザーに求める作品が多くなっているのも、ある意味では元来の紙芝居形式に近づきつつあると言えるかもしれない。

一枚の絵を見ながら耳で聞いた語りを理解するのが紙芝居の特徴だが、耳で聞いた語りをテクストとして絵に埋込み、さらに音響を添えて新しくつくられた“物語り”の形がノベルゲームと言えよう。とりわけおもしろいと思うのは、絵とテクスト(ないし音響)という物語るための媒体である画面が、読み手とやりとりをするためのインターフェースとなっている点である。言うなれば、本を読みながらページにふれると、読んでいるテクストが多様に変化し、物語そのものが変わってしまう、というようなものだ。これをゲーム性として拡張し、読み手とのやりとりを物語内の人物とのやりとりに重ねてゆくという、物理的に読み手をひき込むシステムをつくりあげた。見事なものである。

ノベルゲーム特有のシステムと言えば、やはりマルチエンディングについてふれておかねばならないだろう。東浩紀が『動物化するポストモダン』において指摘したように、作品がひとつのパッケージとして複数の物語を束ね、過程と結末の変わる複数の物語を読み手に提供する。物語の形が読み手の選択にゆだねられることから、これがゲーム性として受容れられてきたわけだが、複数あるうちどの物語に最も感銘を受けたかで、その人間にとっての作品の印象は大きく左右される。読み手はすべての物語のなかからひとつの物語を選びだし、その下に作品世界の全体像を描きなおす、いわゆる二次創作とも言える物語の再構成を求められる。

f:id:SengChang:20200514094506p:plain

serial experiments lain』や『最果てのイマ』といった作品は、記憶やデータを時系列順に“正しく”整序することを読み手に求めた作品であり、再構成そのものをゲーム性として内包した希有な作品であった。言うまでもなく、読み手によって見えてくる物語は多様に変化する。特に『イマ』については、読み手が物語の再構成をするのがほとんど不可能であるが、しかしそれがまさに作中で主人公忍が直面する問題そのものであり、物語内の問題と読み手の問題が同一化するばかりか、ゲームシステム自体も同じ問題をはらむという、高度な計略が光るすばらしい作品であった。このような、読み手の数だけ物語が併存しうるマルチナラティヴというシステムもまた、ノベルゲームによく見られる特徴と言ってよい。

ほかにもたとえば『YU-NO』では、作品を読む読み手までもを物語のなかに組込み、読み進める自身の姿を「画面」として映しだす斬新な試みがあった。また『君と彼女と彼女の恋。』では、読み手の選択によって激高した作中人物がセーブデータを破壊し、自分と寄りそう物語のみを読み手に選択させるという、meta-referenceの演出が注目を集めた。これは作中人物が物語外のシステムにまで介入し、ゲーム構造そのものを転覆したかに思われるが、それもまたこの作品のシステムの一部にすぎないという、矛盾的同一に支配された不思議な作品である。

ノベルゲームのゲーム構造と一口に言っても、制作者の知恵とユーザーの働きかけにより、これまで様々な試みが展開されてきた歴史がある。以上に述べてきたゲーム構造はあくまで作品と読み手のやりとりに着眼したもので、その枠組のなかで語られる物語についてはほとんどふれずにおいた。物語がどのように語られ、その構造がどのようになっているのか、それが次の着眼点となる。(次回へつづく)

⇒私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 前夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第二夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第三夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

f:id:SengChang:20200514094523p:plain