ワザリング・ハイツ -annex-

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私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第二夜

 

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(前回のあらすじ)一枚の絵を見ながら耳で聞いた語りを理解するのが紙芝居の特徴だが、耳で聞いた語りをテクストとして絵に埋込み、さらに音響を添え、新しくつくられた“物語り”の形がノベルゲームであった。絵とテクスト(ないし音響)という物語るための媒体、「画面」自体がGUIとなり、それにふれることでテクストが変化し、物語全体が変わるシステムは、ノベルゲーム特有のゲーム性として拡張されてゆく。よってマルチエンディングやマルチナラティヴといった構造が定着し、読み手とのやりとりに工夫を凝らした、いわゆるインタラクティヴ・ノベル作品が次第に一般化していった。

●ノベルゲームの物語形式

f:id:SengChang:20200520173422p:plainノベルゲームの物語は驚くほど多岐にわたる。これはいかに豊かな物語がノベルゲーム界隈に溢れているかをよくあわらしており、おそらくこれまで文学や映画、漫画のなかで導入された物語形式は、ほぼすべてノベルゲームのなかでも見つけることができる。そうだとすれば、そのなかから特にすぐれたものや、特異なものを拾い集めてみるのがやるべきことであろうか。前回にも言及したマルチエンディングやマルチナラティヴといったものも含め、特筆すべきいくつかの形式をここであらためてとりあげながら、ノベルゲームの特徴について考えてみるのはどうだろう。

たとえば、わかりやすいゲーム性をもった物語形式としてノベルゲームに合致したのは、推理小説の形式であろう。選択肢によって謎を解くシステムはさることながら、実は攻略対象のヒロインの謎や心の弱さを見出す過程がそのまま推理小説の形式に当てはまるため、知らずしらずのうちに舞台装置として定着している。さらに言えば、問題解決が相手との距離を縮めることから、恋愛関係のみならず、人物どうしの関係を深化させる手続として好まれる手法となった。推理物語そのものを全面に出した作品も枚挙にいとまがないが、特にそういった物語でなくとも、推理ものの要素が作中に埋めこまれたものも多く、米澤穂信のうちだした「日常の謎」に準ずる形式は注目に値する。

f:id:SengChang:20200520173408p:plainまたゼロ年代のはじめに隆盛を極めた「ループもの」なるジャンルは、読み手だけでなくつくり手の側にとっても、ノベルゲームの物語としては最も広く受容れられた形式のひとつではないか。2002年の『腐り姫』は、何度もくり返し生まれ変わり同じ数日を過ごすという矛盾を描き、ひどくうちに閉じた日本の家社会と神の伝統をあらわした。また2003年に発表された『CROSS†CHANNEL』では、ループそのものを主題として前景化し、非連続の連続である多世界の亀裂を「観測する」までを、人物たちのリアルとして切りだしてゆく。複数の人物とその時々で関係を結びながらも、ひとつの貫徹した物語として成立しやすいという点から、ループ作品はその後いくつものノベルゲームに受継がれた範型とも言える形式である。ここでの「反復」は言うまでもなく「差異のある反復」であり、似て非なる物語/現実の増殖をも意味し、ノベルゲーム作品自体を表象する形式とも言える。マルチエンディングか単一の結末かという物語の結末に関する流儀も、この問題と関わりをもつ形式と言えようか。

さらにこの「似て非なるもの」という問題は、コピーがオリジナルを超えてゆく、いわゆるシミュラークルの問題をはらみ、コピーがオリジナルから切りはなされて独立した意味をもってしまう「オリジナルのないコピー」という主題を新たに提示する――ノベルゲームに内在するこの主題は、たとえば『最終試験くじら』では、自分の思う世界こそが現実だと心に決め、非現実を現実から切りはなし、その世界に安住してしまうという形で描かれている。これを現実からの逃避ととらえるか、自分の信じる世界を受容れるゆがみの肯定ととらえるかは、読み手の生き方を示す重要な問題であると思う。ここでノベルゲームユーザーの大好きなウィトゲンシュタインをひくならば次の言葉が適切であろう。

「あなたは、何が正しく、何が誤っているかを、人間の一致が決定する、と入っているのだな。」――正しかったり、誤ったりするのは、人間の“言っていること”だ。そして、“言語”において人間は一致するのだ。それは意見の一致ではなく、生活様式の一致なのである。(『哲学探究』「241」*1

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f:id:SengChang:20200520173416p:plainそしてザッピングシステムや三人称の語り、あるいは全知の語り手(omniscient narrator)を導入し、読み手の認知構造を多分に変化させる技巧も多く採用されてきた。『SWAN SONG』をかつて私は「状況小説(a novel conditional)」と形容したが、次々と交代する一人称の語りにより、各人物の奥深い理解が可能になったほか、それぞれの人間の言説を正当なものとして受容れるがゆえ、互いの正しさが軋轢を生み、正しさというものの絶え間なき崩壊が起こってしまう。これがむしろ客観的価値を担保することになり、それまで健全と思われてきたものが、不健全なイデオロギーの下に成立していた偽善が次々とあばかれてゆく。これと非常によく似た形をもつのが『ファタモルガーナの館』である。同じ物語をちがった視点からたどりなおすことで、美しい言説が隠蔽してきた影の言説をあばきだす。『ファタモル』のこのような手法は確信犯的に仕掛けられたものらしく、作中の語り手は読み手に対し、つねに物事の裏側を見るよう働きかけてくる(信頼できない語り手"an unreliable narrator")。そして次第に、善に見えるものや悪に見えるものが、いかにして人々の思いこみによって形づくられてきたのかが浮彫りにされるのである。同じ物語であるにもかかわらず、人物によって甲ととらえるか乙ととらえるか異なるというのは、ある意味でマルチ・ナラティヴと呼べるかも知れない。

マルチナラティヴと言えば『最果てのイマ』にふれないわけにはいかない。一見すると普通の語りに見える『イマ』だが、幾度もループするたび少しずつ変わる物語に加え、実は語り手の忍が過去の出来事を思いだす過程を、読み手は彼とともにたどっていることがわかってくる。しかし元来の回想文学(retrospective novels)とは異なり、この回想は忍の記憶整理/整序のために行われており、それを行っているのが忍の中枢を司るもうひとつの自己――「イマ」という少女である。さらに興味深いのは、この記憶の整理/整序は、読み手がどんなに丁寧に試みてもほころびが出てしまい、決して完遂されない。それゆえ、記憶を正しく配列することが目的なのではなく、記憶の配列を読み手自身が得心するものにとどめ、それを忍の物語として定義する、二次創作の実践が読み手に求められるのである。

f:id:SengChang:20200520173428p:plain『水月』『腐り姫』をはじめ、失われた記憶を集積する物語は多くあるが、記憶の整理/整序する行為を「イマ」という人物を立てることで可視化し、読み手に物語をつくるよう促す作品というのはおもしろい。『seirial experiments lain』にもデータを管理するコンシェルジュがおり、断片化された記録へプレイヤーとともにアクセスするシステムがあったが、回想という行為をそのまま物語に仕立てあげた『イマ』の試みは驚くべきものであろう。さらに無作為に選ばれた記憶の断片をたどる読み手の行為は、作中のテクストに貼られたおびただしい数のハイパーリンクをたどる行為と響きあい、無数に情報を増殖させて網をはるドゥルーズ+ガタリリゾームを思わせる。読み手によって中心の変わる物語の形もまた、ノベルゲームの読者には親しいものであると言えよう。

ノベルゲームの物語形式について語るにあたり、最もすぐれた例のひとつとして思い浮かぶのは『紙の上の魔法使い』である。区分けされたそれぞれの章で展開される物語は西洋の小説形式・ジャンルに則ったものであり、推理小説(detective novel)、怪奇譚(fantasy)、日記文学書簡体小説(diary / epistolary novel)、伝奇・寓話(fairy tale / fable)、自伝的小説(autobiography)、ノンフィクション(non-fiction)、回想文学(retrospective novel)、民間伝承(folklore / oral tradition)と、詳述すれば小説の歴史がほぼたどれてしまうほどである。『紙まほ』のおそるべきところは、章ごとに一話完結の話を展開し――このあたりは日本の連載漫画によく似た展開形式である――それらすべてが有機的に結びついてひとつの大きな物語ができあがるその構成にあった。実験的に様々な形式を導入した作品というのはほかにいくらでもあるが、それらすべてがひとつの物語に束ねられてゆく作品は、私の知る限り『紙まほ』を措いてほかに類を見ない。物語形式に着目すれば、ここまで精妙を極めた作品はなかなかないであろう。ここにはノベルゲームにおいて可能なあらゆる形式が詰めこまれていると言ってよい。

このほかにも、音楽を軸につくられた『WHITE ALBUM2』では、物語の構成がソナタ形式になっており、「提示部」「展開部」「再現部+コーダ」と展開してゆく。しかもソナタ形式は、「提示部」の主題が「再現部」でくり返され、言うまでもなく「coda」でも同じ主題がふたたび発展的にくり返される。これは「IC」での三角関係、あるいは曲作りの過程といったものが、何度も作中でくり返される物語形式と完全に一致する。ここにもう一作付すなのであれば『運命予報をお知らせします』であろう。本作で行われる因果関係の脱構築は、今ではわりとノベルゲームの定番になりつつある主題だが、発表当時は目新しいものであったと推察する。(次回へ)

⇒私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 前夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第一夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

⇒私のノベルゲーム入門Ⅰ「導入篇」 第三夜 - ワザリング・ハイツ -annex-

*1:ウィトゲンシュタイン全集8』所収)